「りりちゃん狂騒曲」
猛威を振るっていたインフルエンザや新型コロナウイルスの流行も落ち着き、外気には甘い花の香りが混じり始めた。渡邊被告に判決が言い渡される第5回公判は2024年の4月22日。
彼女が収監されている名古屋拘置所は、面会手続きの順番を待つための整理券を、午前8時から配布する。だが到着順に配られるため、午前7時にはすでに現地メディアが並んでいる。
それゆえに早朝に東京から名古屋まで行ってもその時間には間に合わず、かといって会えない限りは、記事の執筆も進まない。
第5回公判前の19日、さすがに、この時間には誰もいないだろう……と、前日に前乗りして朝5時50分に拘置所に着くと、すでに全国紙の地元支局の若い女性記者がひとり、拘置所の入り口に立っている。日の出を迎えてうっすらと日差しは届いていたものの、風が強く、4月半ばを過ぎてはいたが、身を切るような寒さだった。
女性記者は身をすくめ、足をこすり合わせるようにして自身の身体を温めている。聞けば、朝5時半から並んでいたという。しばらくして6時を回るとまた別のメディアの若い男性記者が現れた。面会入り口に並ぶ我々を見て「なんだ!! この時間でもだめだったか!!」と頭を抱えながら絶叫すると、その場を去ったのだった。
渡邊容疑者は、「ファン」の子たちが事前に手紙を出し、「何日に行きますよ」と連絡すると、その日の面会を空けているものの、記者に関しては、あくまでも「先着順」を基本としているようだった。また、拘置所のルールで面会は1日に1組までと決められている。
その日も私は前日に電報を入れ「明日行きます」と伝えていたものの、その日面会が叶ったのは朝5時半から並んでいた女性記者だった。
渡邊被告のもとに集まったのはマスコミだけではない。海賊版サイト「漫画村」を開設し、大手出版社3社から著作権法違反で訴えられ、約17億円の賠償金支払い命令が下った星野ロミ氏も、渡邊被告に「Xで儲けよう」と提案するために、東京から名古屋拘置所まで面会に来ていた。
また、渡邊被告からは「控訴審に向け、無料で弁護を請け負うと名乗り出た弁護士が複数いて、ある弁護士は『弁護を引き受ける代わりに大阪の『グリ下』や歌舞伎町の『トー横』にしか居場所がない、渡邊さんのような〝可哀そう〟な子供たちを救うための活動のシンボルとなってほしい』という申し出があった」とも聞いていた。
弁護士だけではなく「りりちゃんに、リリック(詩)を書いてほしい」という女性ラッパーや、「女子大生とのパパ活が報じられ、自民党離党に追い込まれた吉川赳前議員を励ますイベントを開催するので、励ましの言葉を寄せてほしい」などなど、「りりちゃん詣で」をする人々は、業種を問わず増えていったのだ。