「無邪気にはしゃぐ人達を疑って見てしまう」

そんな私が、また拳を上げることができるようになったのは芸能界に飛び込んでから。

はしゃいだり、大きな声で笑ったり、現場を盛り上げるのもひとつの“仕事”ですから。

仕事という大義名分ができたおかで、思い切り脇の下を見せることができるようになったんですよね。

ただ、自分がそんなんだから、今度は他人のことまでを疑って見てしまうように。

特に私が引いてしまうのが涙ですよ。

たとえば感動VTRとかを見て泣いている女性タレント。

ああいうのとか見ると、つい思っちゃうんですよねぇ。

「嘘だろ?」って、「その涙、ビジネスだろ?」って(笑)。

嘘をつくのが苦手な自分の性格もきっと影響しているのでしょう。

自分の嘘に厳しいぶん、他人の嘘にもつい厳しくなってしまうというか。

こないだも、テレビに川村エミコちゃんが出ていたんですけど。

「へぇ! セロリって生で食べるものだと思っていたけど、炒めることもできるんですね!」なんて、嘘みたいな相槌ばかり打つもんだから。

「嘘つけよ、知ってんだろう! 中華屋で食べたことあるだろ!」って、気づけばずっと、テレビの前で悪態をついている自分がいましたからね。

無邪気にはしゃぐ人達を疑って見てしまう。

私は本当に性格がひねくれていると思う。

でもね、自分でもわかっているんですよ。

絶対に無邪気にはしゃいだほうが楽しいってことを。

周りからどう見られているのか、こんな私がはしゃいでいいのか、この気持ちは嘘なのか本当なのか……私の感情はいつも無駄な回路を通過してばかりだけど。

そんなことをせずに感情を表に出せたほうが絶対に楽しいし、自分も心地よいと思うしね。

イラストレーター・中村桃子による連載挿絵
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年齢を重ねると、周りの目を気にせずに思い切りはしゃげるオバサンと、「大人なんだから、はしたない」と気取るオバサンに分かれると思うんだけど。

私が目指すのは完全に前者。

バスツアーに参加して大騒ぎできるようなオバサンに私はなりたいんです。

50代に突入してから、地元の友達と遊ぶのがすごく楽しくなった、その理由もきっとそこ。

東京でひねくれてしまった私だけど、中高時代の同級生達に会うとあの頃の自分にスンッと戻れるというか。

地元の友達の前では妙な回路を通過させることなく素直に感情を表に出すことができるから。

まるでリハビリをするかのごとく、私は地元の友達に会いに行っているのかもしれない。
 
その成果か、最近は少しずつプライベートでも脇の下を見せることができるように。

サザンのライブでも、最初はあさこさんを冷めた目で見ていたくせに、最終的には自分も拳を振り上げて大盛り上がり。

喉が枯れるほど歓声を上げましたからね(笑)。

街ロケをしていると「あら、大久保さん、何やってんの?」なんて、カメラに入ってくるおばあちゃんによく出会います。

そんな無邪気なおばあちゃんを見ていると思うんですよね、人間は老いるにつれて子供に戻っていくのかもしれないって。

見栄や体裁やプライド、余計なものを抱える体力や気力がなくなり、どんどん素直に純粋になっていくのかもしれない。

ならば、私もそうなりたい。

脇の下をしっかり見せることができるおばあちゃんになりたい。

で、いつかまたみんなで“うすのろばか”をして、大騒ぎしながら走りたいよね。

今度は学校でなく高齢者施設の廊下を、ヨボヨボと、しわがれた大きな声で笑いながらね(笑)。

聞き手・構成/石井美輪 イラスト/中村桃子 撮影/露木聡子