山内 それこそ『恋せぬふたり』も、異性愛規範の呪いからどう脱するかということを描いていましたよね。私はアラサーのときに上野千鶴子さんの著作に出会ってバールで殴られたような衝撃を受けて(笑)、フェミニズムの本を通していろんなことが理論的に理解できるようになったんですが、吉田さんがこういったテーマに目覚めたきっかけはなんでしょう。ご自身の経験がもとになっていたりするんでしょうか。

山内マリコ(やまうち・マリコ)
小説家。1980年、富山県生まれ。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」で読者賞を受賞。12年『ここは退屈迎えに来て』で作家デビュー。その他の著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』などがある
山内マリコ(やまうち・マリコ)
小説家。1980年、富山県生まれ。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」で読者賞を受賞。12年『ここは退屈迎えに来て』で作家デビュー。その他の著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』などがある

吉田 私はどちらかというと、血縁関係には恵まれていて、仕事をするうえでも母に支えられているし、いまだによりどころにしている部分が大きいんです。だから、実をいうと二十代前半までは、家族の絆や愛情がいかに大事であるかということを、物語で描いてきました。

でも、そうやって自分にとって大事なことだけを美化していくと、とりこぼしてしまうものがたくさんあるんだなと気づいたんですよね。何かに大きな光を当てるということは、日の当たらない存在を生み出すということなんだなって。

山内 これが決定打だった、みたいなことは?

吉田 いえ、少しずつですね。でも、ずっと書き手としての自分は無個性で、作品に色がないなあと感じていたことは大きいです。書きたいものを書いているのだから、自然と色はついてくるはずなのに、いつまでたっても無味無臭。なんでだろうって考えたとき、テーマを選択して書いているわけではないからだ、ということに気がついたんです。

家族の絆を描くにしても、ただ漠然といいものだと思っていただけで、広い世界を見て、いろんな選択肢があるなかで、この美しさを描くんだという覚悟があったわけではなかった。家族愛を一生書いていきたいのかと問われれば、そうではない。

私が書きたいのは、自分が母に対して感じているのと同じような、よりどころとしての安心感や、背中を押してくれるような励まし、冷たくなっていた心がわずかにあたたまるような瞬間なんだと気づいてから、少しずつ変わっていきましたね。むしろ、家族愛を高らかに掲げるのは違うのではないか、それによってこぼれ落ちてしまうものがあるんじゃないかと思うようにもなってきた。

山内 やはり作品を書くこと自体が自己発見なんですね。私も、小説家になりたい、いい小説を書きたい、でもいい小説ってどんなだ? というところから物事を掘り下げて考えるようになりました。小説を書いていなかったら、上野千鶴子さんの本にも辿り着かなかったかもしれないです。