山内 自分の個性が摑めたターニングポイントとなった作品はありますか?

吉田 セカンドライターとして入ったアニメ『DOUBLE DECKER! ダグ&キリル』(2018年)でしょうか。架空の都市を舞台に、とある薬物で凶暴化する人たちを取り締まる刑事たちを描いた物語で、どのエピソードでも通底するテーマや、物語の進行上、必ずおさえなくてはいけないポイントがありつつも、わりと自由にやらせてもらえることもあって。

あるとき、マニッシュな女の子がメインとなるエピソードで、同性愛やルッキズムにからむ話を書いたんです。それを観た方々から、同性愛が物語のスパイスにされなくてうれしかった、という声が届いたんですよね。2018年ぐらいの話です。

山内 まだまだ同性愛者がマジカル扱いされることも多かった頃ですね。

吉田 当時なぜ自分がそれをできたかといえば、海外の連ドラをたくさん観るなかで、物語と社会問題を関連付けるのはあたりまえだということを学んでいたし、なにか問題が起きたときに親族間で解決させずに、公的な機関や第三者を頼ることも必要だという体感を得ていたからだなと思います。

アニメにかかわらず、エンタメと社会問題を切り離す必要はなくて、社会問題だからといってシリアスに、悲劇的に描く必要もない。そのバランスをとって物語を書くことができるかもしれない、と思えるようになったのは『DOUBLE DECKER!』のおかげです。

残念ながら、爆発的人気はでなかったのですが、コアなファンに愛されていて、やれるものなら続編をつくりたいと今でも思うくらい愛着があります。主人公がまた、魅力的なんですよね。

ものすごくフラットなまなざしで世界を見つめる彼を通じてだからこそ、理想的な優しい社会を描くこともできる。そのことに意義があるんだと『チェリまほ(30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい)』(2020年)あたりまでは考えていましたね。

山内 今は違うんですか?

吉田 これもまた難しい問題で、あまりに優しい世界を描くと、現実に起きている問題を解決しきれないまま、消費するだけで終わってしまう危険性があるなと。善人ばかりが暮らしているのが理想的な社会かといえばそうではないし、優しく美しい心をもった人間でありたいけど、なかなかそうはいかない側面も書かなきゃいけないと思うようになりました。

誰からも愛されるキャラクターを描きたい気持ちもありつつ、ダメなところがある人を描くことのほうに、今は意味を感じています。だから寅ちゃんも、一定の層には嫌われてしまうだろうとわかっていながら、失敗や矛盾をさらけだす人物として描きました。

完全無欠の高潔な人でなければ、声をあげちゃいけないなんてことはない。調子に乗るし、間違える、決して偉人ではない寅ちゃんだからこそ見せられるものもあるんじゃないかと思ったので。

山内 さっき吉田さんもおっしゃったように、小説は積極的に読みたいと思う人しか手にとらないのが実情です。私が『一心同体だった』を書いたときも、場合によっては炎上するかもなと思うような表現があったのですが、苦言を呈されることもなく、アンチが湧くこともなく、非常に平和な世界で読まれている感想ばかりでした。

でもそれってつまりは売れてない、狭い層にしか届いていないということなんですよね。対してドラマ、とくに朝ドラは、本当に幅広い年代や立場の人たちに観られているから、批判的な声もどうしたって大きくなってしまう。