現在の少子化とは真逆な実情
この売春システムは、たびたび先進諸国などから人身売買として非難されることがあった。
娘を簡単に売ってはいけないというためなのか、前述したように(99ページ)、公娼になるには3つのルールがあった。
それにしても娘を売って、一体いくらになったのか?
この〝命の値段〟は地域や時期によって大きく異なる。
不況で身売りが多い時期には、必然的に相場は下がる。だから、昭和初期の不況時期に東北地方などから売られた娘の値段は100円という安値だったこともある。
しかも、その半分は手数料として取られたので、親の元に入ってくるお金はわずか50円である。50円といえば、当時の労働者の平均月収にも及ばない。現在の価値でいえば、十数万円というところである。わずか十数万円の金で、貧農の娘たちは売られていったのだ。
親にとっても、この十数万円は安かったに違いないが、娘を売るということは口減らしになるということでもあった。子どもが一人減れば、食糧がそれだけ浮く。寒村では学校に弁当を持っていけない「欠食児童」が多数いたので、口減らしということだけでも、親にとっては助かったわけである。
都心部には、売られてきた娘たちを匿って親元に戻してやる慈善事業団体もけっこうあった。しかし娘を親元に帰しても、必ずしも喜ぶ親ばかりではなかったという。「せっかく口減らししたのに」ということだ。そんな親元にいたたまれず、自分から娼家に戻る娘も少なくなかった。当時の東北の農村がどれだけ貧しかったか、ということである。
この公娼制度が廃止されたのは、終戦を経た昭和33(1958)年のことである。
文/武田知弘 写真/shutterstock