「吉本興業でよかった」
「28歳の頃かな? 吉本印天然素材を脱退して、上京しましたが、仕事が全然なかった。大変だったのは、天素のときに少し収入があって、いい暮らしをしてしまったから、また生活水準を下げるのが正直かなりきつかった」
一度上げるとなかなか下げることのできない金銭感覚。上京したての頃は本当に苦労したと笑いながら話すが、大阪に帰るという選択肢は「一切なかった」と言い切る。
「東京に行って勝負して、ダメならもう芸人をやめる。その覚悟を持っての上京だったから。しんどかったけど『いま踏ん張らなあかん』と借金してまでも必死に頑張りました」
収入の乱高下、なかなか東京では売れないもどかしさ。大阪芸人として“東京の壁”を感じていたが、徐々にテレビ番組への出演を増やしていく。同じ吉本印天然素材で、先んじて東京進出し、成功していたナインティナインに追いつくように、雨上がり決死隊は芸人として頭角を表す。
『エブナイ』(フジテレビ系、後の『ワンナイR&R』)で飛躍の足がかりをつかみ、初の全国ネットの冠番組『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーク!』(テレビ朝日系)を持つことに。同番組は20年以上続く長寿番組となり、現在の地位を築いた蛍原。
「今は絶対に吉本がいいですよ。制度がいろいろ変わって芸人にも優しい環境づくりができている。僕はずっと吉本にいてよかった。270円で舞台出ていた頃は、ぶっちゃけ『吉本どうなん?!』って思ってましたけど(笑)。
今になって、270円もらえているだけ、僕たちはありがたかったんだなって。吉本は全国に劇場があって、楽屋にはいつもたくさんの芸人仲間たちがいる。こんな最高の環境は他にはないですよ」