長期にわたって封印されていた自分の気持ちが歌詞に
中東で発生した湾岸戦争のニュースを目にして、再び『さとうきび畑』を歌おうと心に決めたというのだ。
そのようにして、沖縄とあらためてしっかり向き合うようになった森山は、BEGINに沖縄テイストの曲づくりを依頼した。
まもなくして作詞をしてほしいと届けられた1本のデモテープには、「涙(なだ)そうそう」というタイトルだけが書いてあった。
そのタイトルが意味しているのは、涙がポロポロこぼれ落ちることだと知って、森山はなぜか23歳の若さで急死した兄を思い出したという。
幼い頃から仲がよくて頼りにしていた兄が、何の前触れもなく急性心不全で亡くなったのは1970年のことだった。
そのときに兄を思って一気に歌詞を書き上げることができたのは、長期にわたって封印されていた自分の気持ちが、「涙そうそう」という聞き慣れない沖縄の言葉と、BEGINのゆったりしたメロディーによって触発されたからであろう。
「それまで言葉にできなかった感情を、メロディーの力を借りて歌詞に書き上げることができました。とりとめのない思いを言葉にできたため、心の中が整理されたんです。そして、もしこの曲に出会わなかったら、いつまでも誰にも言えない兄への思いを抱えていたかもしれません。出会いとは偶然ではなく、運命が時を選んで、会うべき人に会わせてくれているんだと思えました」
こうして森山良子のアルバム『TIME IS LONELY』(1998年)に収録された『涙そうそう』が、広く一般にまで知られるきっかけは、2000年に開催された沖縄サミットのテレビ中継だった。
その番組を偶然に見ていたのは、後に『涙そうそう』をミリオンヒットさせる歌い手だった。BEGINと同じ石垣島出身で、彼らよりも一足先に演歌歌手としてデビューしていた星美里だ。
ただし、星美里はヒットに恵まれなかったために、いったん引退して沖縄に戻り、1999年に「夏川りみ」と名前を変えて再デビューしたばかりだった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
引用
「インタビュー 情熱と挑戦の先に 69歳で年100本のステージ 歌手・森山良子の覚悟とは」(カンパネラ/2017年3月9日)