「1試合」と「1シーズン」を勝つことの違い

私は1998年から2002年まで、5シーズンにわたってメジャーリーグを経験している。ニューヨーク・メッツ、コロラド・ロッキーズ、モントリオール・エクスポズ(当時・現ワシントン・ナショナルズ)と3球団を渡り歩いた。どの球団でも感じたのは、メジャーリーガーが「みんなのために」という協調性を持っていることだった。

千葉ロッテマリーンズの吉井理人監督(右) 写真/共同通信社
千葉ロッテマリーンズの吉井理人監督(右) 写真/共同通信社
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アメリカ人は個人主義が強く、自分を最優先で考えるという勝手なイメージを持っていた。分業制も進んでいたため、協調性をもって力を結集するイメージがほとんど湧かなかった。

しかし、その先入観はすぐに覆された。普段はあまり見えないが、目的が決まったときには、結束力を発揮する。

「自分としてはこうしたいけれど、現時点のチームの状況がこうなっているので、いまは
こうしなければならない」

メジャーに行ってすぐは、選手たちがバラバラに見えた。だが、シーズンが進むにつれて優勝の目標が近づくと、見事に結束する。ほかのスポーツを見ても、エゴイスティックな振る舞いに走る選手は評価されない。そういう選手はチームメイトの協力が得られないから、自分のパフォーマンスも伸ばせない。アメリカ人のほうが、エゴと協調のバランスをうまく取っているように見える。

2022年の夏にピッチングコーディネーターとしてドジャースに留学したときも、ロッカールームにこんなフレーズが大きく貼り出されていた。

「1試合に勝つには、選手だけで勝てる。しかし、チャンピオンになるためには、チーム
みんなで戦わなければならない」

これはおそらく、宗教も関係していると思う。欧米はキリスト教文化なので、聖書に書
かれた「汝の隣人を愛せよ」という考え方が根底にある。それぞれが自分勝手に動いてい
るようでいても、自分のエゴが周りを不幸にしているかどうかを気にする。それが彼らの
道徳を形成している。

日本は、高校生や大学生のころから「チームのために」というスローガンを掲げるチームが多い。だが、それがお題目になっていて、そこにフォーカスされていない。実際はチームのためにと上から押しつけられているだけで、選手自身がそれについて真剣に考えていないのだ。選手がプロに入る前のこうした環境が、協調性が身についていないことと関係しているのかもしれない。

主体的になることは、ある意味でエゴイスティックになることだ。自分の考えに基づいて、自分が良いと思ったことを自由にやる。しかし、自由にやれと言われたら、勝手気ままにやることをイメージするのが日本人の悪い癖だ。そこに、周囲に対する気遣いはない。そうなると、主体性と協調性はトレードオフの関係になってしまう。