海外での行動との矛盾どう説明するか
ここまでは、『ブラック・ボックス・ダイアリーズ制作チーム』が日本国内の当事者に対して、どのように説明をしてきたかを記したが、ところで同チームが「海外に向けてしてきた行動」を同じタイムライン上に書き足すと、不思議な矛盾が浮かび上がる。
まず、米国の権威ある映画祭であるサンダンスで映画の封切りをすることがチームにとって一つの重要なマイルストーンであったことは24年10月の米国映画メディア『Hammer to Nail』上でのインタビューにて明らかだ。
伊藤氏は、サンダンスをワールドプレミアに選んだのはプロデューサーの案であり、またこの作品を日本で上映することは難しいと分かっているからこそ、世界を介して最終的に日本へ逆輸入する形で映画を持ち帰るキャンペーンを行なっていくと語っている。
ではサンダンス映画祭への出品応募期限はいつかと考えると、23年の9月なのである。サンダンス映画祭でのワールドプレミアを目指し、23年9月には上映に向けての応募提出を完了していたのであれば、そのような映画事情を知らない西廣氏が23年の12月に、サンダンスでの上映予定をネットニュースで見た後にいくら許諾を取ることの必要性を念押しし、さもなくば弁護団の映像は使わないように申し入れたところで、実はあまり意味のないものであっただろう。
ではなぜ、サンダンスの一週間前に、スターサンズの社長は「カメラ映像は使わない方向で」と返答をしたのだろうか。
そして、「西廣氏視点での空白の半年間」(使用しないと告げられ、それを信じていた期間)を含め、西廣氏が24年10月に記者会見を開くまでの10ヶ月間において海外で何があったのかを辿ると、サンダンス映画祭で波に乗った同作品は、ロンドン、スイス、オーストラリア、釜山と世界各国の映画祭で上映を重ね、アカデミー賞ノミネートへとつながる国際的な評価の足固めをしていくのである。
また、同作品が世界57の国と地域への配給を速やかに実現させた背景には彼らのグローバルセールスとしてクレジットされているDogwoof社(ロンドンの映画制作・配給会社で米アカデミー賞ノミネート作品を過去34本手がけた実績を持つ)の活躍抜きに語ることはできないだろうが、伊藤詩織氏やエリック・ニアリ氏は、23年12月上旬の時点で、同社の役員であるオリ・ハーボトル氏と強固なパートナー関係にある喜びを米雑誌『Variety』で語り、同時期には国際展開戦略に向けて盤石の体制を整えていたことも明らかである。
それらは、西廣弁護士にとっては露知らぬことであろうとも、共同制作会社であるスターサンズは、少なくともサンダンスを皮切りに始めようとしているその計画を、知っていただろう。
24年の1月10日という、その作品がサンダンス映画祭でまさにワールドプレミアを迎えようとしているわずか一週間前に、なぜ前述のような返答をスターサンズがしたのか、私は伊藤詩織氏側の記者会見で聞いてみたかった。もっとも、その記者会見には、共同制作会社であるスターサンズ側の出席者の予定は、なかったのだが。