アブラの差が味の深まりにつながっている

ガラス越しの厨房からは、3つの鍋が見えた。鶏肉を煮込んでいる鍋、ラムを煮込んでいる鍋、豆と野菜を煮込んでいる鍋。どれも、スパイスの色の移ったアブラが、鍋から出る湯気を抑え込むほど厚みをもった層となり、たっぷりと浮いていた。

インド料理ではよくギーというアブラを使う。ギーは牛やヤギなどの脂肪からとれる澄ましバターのようなもので、野菜や肉を炒めるときなどに使われる。特に重要なのは、スパイスの香りを立たせてギーに香りを乗せる調理手順。先述の鍋にはスパイス色のギーが浮いていた。

ポイントは、鶏肉(皮なし骨付き)、ラム、野菜と分けて煮込んでいた点だ。つまり鶏肉の鍋の浮き油には鶏肉の脂が、ラムの鍋にはラムの脂が混ざっている。野菜は脂が基本的にないのであっさりしている。

専門的な話をすると、アブラには性格があり、素材によって融点が異なる。性格が違う3種の素材を一緒の鍋で煮ると、平たくいえばひとつの味になる。ところが、3種類を別々に煮て、最終調理の段階でドレッシングのように簡単に混ぜるだけにすると、それぞれの油の性格が出て、複雑な味になるのだ。アブラの差が味の深まりにつながっている。

深みを出すためのこうした手法は、洋の東西を問わず行われているが、インドの伝統食がつくられる日常的なシーンでそれが行われていたことに、私は驚嘆した。

オーダーが入ると、調理担当者はこれらの油脂を少しずつすくい取ってひとつの鍋に入れ、カレーを仕上げていく。年のころは30歳くらい、目が鋭くギラギラしていたこともあり、その素早さは「厨房の獣」のように思えた(私は気に入った)。

ほどなくして席が空き、座ってバターチキンカレーをオーダーして出てきたものを見ると、そのころ無印良品が出していたものとは比べ物にならないほど粗末な見た目である。が、ひとたび口に入れると、「旨い!? うーん、違う。激しい味」。

〝いろいろなおいしさ〟が詰まっていて、バランスが取れているのに、カドもある。

スパイスは口のなかで踊り、骨付きの鶏肉はほろりと崩れながらも味を失っていない。ソースはサラリとしているが、コクがあって優しい。スパイスから出た、赤パプリカのような優しい地球色の油脂が皿の白と重なりあって、光り輝く。

「何や、これは!?」

書籍『「無印のカレー」はなぜ売れたのか? 食品ビジネスで成功する思考(フィロソフィー)と仕組み』より
書籍『「無印のカレー」はなぜ売れたのか? 食品ビジネスで成功する思考(フィロソフィー)と仕組み』より

絶叫に近い感動を心のなかに抑えながら、黙々と試食した。

「インド料理の入口としてこんなおいしいものを食べてよかったのか?」と独りごとをいいながら店を後にし、次に向かった店で、私のインド料理に対する意識は一気に確信へと昇りつめた。