殺されることはわかっていた

「どうぞ、お入りください」

薄暗い書斎に通されると、大きな机を前に、白いあごひげをたくわえた老人が座っていた。薄赤色の半袖シャツに赤いつりベルトをしている。部屋には印象派の絵が何点かかけてあった。やや猫背の体を起こし、「ようこそ」と言って右手を差し出してきた。

暗殺の脅威は現実的である。2008年には(ゴルジエフスキーが)毒入りの睡眠薬を飲まされ、入院した。3日間意識不明となり、以降体力が減退したという。体調について聞くと、「何とか生きています」と言って笑った。

「以前、日本の秘密情報機関の方がここを訪ねてきましたよ。日本人の客はそれ以来です」

「ロシアのことを聞きに来たんですか」

「それと北朝鮮です。日本は領土を占領されているから、ロシアに関心があるのは当然です。それと北朝鮮のミサイルでしょう」

「会ってみて、どんな印象を?」

「ロシアについて大変詳しかったので驚きました。日本の諜報レベルを見直しましたよ」

本音なのか、外交辞令なのか。会ったばかりで判断できない。

改めてマリーナ(暗殺されたリトビネンコ氏の妻のマリーナ・リトビネンコ氏)からの紹介で来たと伝えると、かつて世界で最も影響力のあるスパイと言われたこの老人は相好を崩した。

「サーシャ(暗殺されたアレクサンドル・リトビネンコ氏)は以前、よく家族でここを訪ねてきました。この丘の上に美しいレストランがあります。マリーナと息子を連れてここに来ると、よくそのレストランで食事をした。暗殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ(プーチン批判をしていたロシア人女性ジャーナリスト)と一緒に来たこともありました」

ポリトコフスカヤは当時から命を狙われていた。ゴルジエフスキーが「怖くないかい?」と聞くと、「心の中ではいつも震え、おびえています」と答えたという。暗殺されたのはその翌年だった。

「殺されるのがわかっていたように感じた。勇気ある女性でした」

アンナ・ポリトコフスカヤ氏
アンナ・ポリトコフスカヤ氏

リトビネンコが命を奪われてから、ゴルジエフスキーはマリーナの訪問を受けていない。

「最近はもっぱら電話です。彼女は若くて美しい。一人で来たら、うちのジルの機嫌が悪くなるのでね。焼きもちです。さっきの女性です」

ゴルジエフスキーは1990年代から、「ジル」と呼ぶ英国女性と暮らし、身の回りの世話をしてもらっている。

インタビュー時、ゴルジエフスキーは75歳である。その年になっても、マリーナを「美しい女性」と表現し、彼女の話題では笑顔になる。いくつになっても男は変わらない。

その後、マリーナにゴルジエフスキーが語った「焼きもち」について伝えると、「変な人ですね」と一笑に付した。

ゴルジエフスキーは外出する機会を減らしているが、ロシアを中心に海外のニュースは日々チェックしている。そのためリトビネンコの活動については、以前から認識していた。

「彼の亡命以前から知っていました。記者会見してベレゾフスキー(ボリス・ベレゾフスキー、実業家で英国に亡命していた)暗殺計画を暴露して話題になりました。とんでもなく危険な行為でした。91年のソ連崩壊から99年ごろまで、ロシアは確かに民主化を進めていた。だから大丈夫だと思ったのかもしれない。実際は96年ごろから民主化は停滞していたのに、サーシャはそのリスクを低く見積もったのでしょう」

リトビネンコの第一印象について、「実に健康そうだった。フィットネスに夢中で、毎日何マイルも走っていると言っていた。不思議なほどチェチェン人を愛していたのを覚えている」と言った。

ゴルジエフスキー自身、ロンドンに来たころはジョギングを趣味とし、ホランド・パークを走っていたという。最近は家でクラシック音楽を聴いている。読書も欠かさない。