「本当の自分じゃないまま生きていくのかと思うと怖くなった」
もともと裕福でない家庭で育ったという小橋氏は、小さい頃から人一倍独立心が強かったという。
「畳も床が抜けて、台所にはネズミが走っている、超がつくぐらい貧乏な家だったので、幼い頃から自分がやりたいと思ったことは自分で行動しなきゃいけないという“チャレンジ精神”がありました。
最初は観覧希望と勘違いで好きなテレビ番組の応募したのがきっかけで芸能界入りをし、その後はひたすら役者のオーディションの日々でした。なかなか泣かず飛ばずだったのですが、あるときをきっかけに役者としてたくさんお仕事をいただくことになりました。
ただ、いざ役者になってみると、人から評価はされるんですが、『役者だからこうしなきゃいけない』とか『これは言っちゃいけない』とか、自分の心を無視して生きるようになったのが、辛くなってきたんですね。なにかにワクワクしても、それを見ないようにしているうちに、だんだん自分がわからなくなってきた」(小橋賢児氏、以下同)
「将来を見据えたときに、このまま今のポジションにしがみついていたら、それなりにお金や地位は得られるだろうけど、本当の自分じゃないまま生きていくのかと思うと怖くなりました。知らない自分に出会うため、想像がつかない場所に行きたかった」
そうして26歳のときにネパールへ初めて一人旅を決行する。そこで出会った青年の「いまを生きるために働く姿」と、キャリアに思い悩む自身との差に愕然とした小橋氏は、27歳のときに休業を宣言。その後、アメリカの各地を旅した。
「休業は言い訳で、『先のことまで考えられなかったから逃げた』っていうのが正直なところですね。英語で日常会話ぐらい話せるようにならなきゃと思っていたからアメリカに行っただけで、なにをしようとか、何者かになろうかとまでは考えてなかった」
帰国後に、日本で仕事を始めようとしても、「上手くいきそうでいかない、仕事を取れそうで取れない」状態が続いた。
「アメリカや世界中をまわって、また自分の可能性を信じることができました。ワクワクして日本に帰ってきましたが、現実はそんなに簡単にはまわらなかったです。
今思えば、まだプライドがガチガチに高かったんでしょうね。お金を稼ぐだけなら、どんな仕事でもできたんでしょうけど、そこまではできなかった。なにかをクリエイションして稼ぎたいっていう気持ちは漠然とあったけど、この会社に入りたいとか、これを絶対やりたいとかまではなかった。プライドが邪魔して、いずれできるはずという間違った妄想の中で生きていたんだと思います」