「体育嫌いは、体育の先生がつくる」

体育の授業についていけない子どもに運動を教える『運動が苦手な子の教室』を運営する、NPO法人スマイルクラブの代表・大浜あつ子さんは、「体育の授業システムや教師にも問題がある」と指摘する。

「体育の授業の場合、約30人の生徒に対して先生1人が見るわけですよね。例えば鉄棒だとしたら、複数人の生徒が鉄棒につかまって、『はい、スタート』でそれぞれ始めます。できる子はどんどんやる一方で、できない子は鉄棒を持ったまま。ひとりひとりを見る時間もなく、そのまま『はい、終了』となってしまう。そういう授業になっているんですよね」(大浜さん、以下同)

1対多数で教える授業では、丁寧に教えることができないうえ、構造的に「さらし者」を生むような授業になってしまうようだ。
筆者も運動が苦手で、体育の“居残り組”だった。鉄棒や跳び箱など、できた人から解放されていく中で、できない人は見せしめのように何度もやらされる……苦い思い出である。

Xでも「さらし者」になって辛かったという声が多く、こういった授業も体育・運動嫌いを生む要因のひとつのようだ。

さらに、教える教師のマインドにも問題があるという。

「私も体育教師をやっていたのですが、私自身は体育やスポーツが好きなので、見ればだいたい分かるしできちゃうんですよね。自分ができる人は『なんでできないんだろう?』と純粋に思い、そのまま言葉に出てしまうこともあると思います……。これこそが、いちばんダメなことなんです」

確かにどうやって良いのかわからないのに、教師から「なぜできないんだ」という言葉を投げられたら、体育や運動を嫌いになってしまうだろう。

「教員を目指しているときに、『体育嫌いは、体育の先生がつくる』という言葉を聞いて、しっかり胸に刻んだつもりでいたんですけど、いま思うと反省することが多いですね。教え方やコーチングを勉強してきたとはいえ、どう体を動かしたらいいかわからない生徒がいることまで当時は考えられなかったというのが本音です」

ここでも「運動が得意な人は体育が苦手な人の存在を想像できない」という問題があった。
自分ができてしまうだけに、できない子に対してどう指導していいか分からない教師も多いのだろう。

画像はイメージです 画像/shutterstock
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では、一体どんな体育の授業が理想だろうか?

「小学校では、マット運動や鉄棒、陸上などで自分の体の動かし方を知り、球技ではボールをつく、投げる、受け止めるといった動作などの基本を学ぶ。このあたりを『できる』『できない』で分けず、楽しくやれる仕組みがベースにあるといいですよね。そのうえで、中学生、高校生になって、ルールのあるスポーツや陸上競技などに広げていくようなイメージです」

確かに、今の体育の授業は、運動ができないことは気づかせてくれるけど、どうやったらできるようになるかは教えてくれない印象だ。

体の動かし方やボールの扱いなど基本をもっとしっかりやれていたら、体育を好きになったかもしれない……。いや、それでも体育は嫌いなままな気もするが、大浜さんはみんなに体育や運動を好きになってほしいと考えているのだろうか?

「そうですね。運動は健康のもとですし、子どもはとくに運動することで身体がつくられていきますから。学校の体育の授業も大切な基礎づくりです。体育が嫌いだからやらなくなってしまうのではなく、運動が苦手でも楽しく身体を動かせる環境があるといいと思います」

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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