アメリカで自分の拙い発音をマネされて考えたこと

――アメリカで、慣れない英語を駆使してのネタの披露に苦労されているとのことですが、現地でウケるネタ、ウケないネタの境界などはある程度、見えてきましたか?

村本大輔(以下同)いや、これが全然。日本語と同じ言葉がないので、難しいです。例えばチケット料金を払わない女性のことを「無料の女」といいたい場合、訳すと「Free woman」になるんですけど、それだと「自由な女」という、ポジティブな意味合いになってしまって、まったくニュアンスが変わってしまう。

あとやっぱり、英語だと自分のしゃべるスピードが遅いから、途中でオチが読まれてしまうこともあって悔しいですね。だから最短距離でオチにいくように練り直したりもしてます。このあたりは日本ではまったく必要のなかった作業なので。

「これは差別なのか、それとも…」ウーマン村本大輔がニューヨークの舞台で自分の拙い発音をマネされて考えたこと_1

――今、ネタはどんなときに閃きますか? 

人の本音に触れるというか、本質的な、意義のある会話からネタが生まれることが多いです。例えば能登半島の被災地で僕のライブを主催してくれた人たちが、終わった後に、ライブを主催するにあたって抱いた葛藤とか、愚痴とか、本音を聞かせてくれた瞬間。そういうときに自分の心が動いて、なにかが生まれる感じがします。

あとは「これはおかしい」と思ったとき。

さっきも話したけど、テキサスにあるコメディクラブにふたつの部屋があって、それぞれに「ファット・マン」「リトル・ボーイ」と、長崎と広島に投下されたふたつの原爆の名前が付けられている…こういうのを見聞きするとスイッチが入るというか、脳が動きだす感じがあって。

あるとき、オープンマイク(入場料を払えば誰でもステージに上がれるスタンダップのステージ)で、次の出番の人に、僕の拙いしゃべり方や発音をマネされたことがあって。それですごく複雑な気持ちになって、そこからはずっと、どうやってこれをネタにしてやろうかなと考えてます。

――そのモノマネには、差別的な意味合いがあると感じましたか?

うーん…差別かそうじゃないかって、受け手の意識もあるからね。差別って、無知からくるものでもあるし。例えば日本人も、フィリピンから来た人の話し方をマネて「シャッチョウサン」とかって言うじゃないですか。あれは「第二言語の習得の苦労」を知らない人が、無知がゆえに、ただ目先のものをいじっている場合が多いと思うんです。

これは難しい問題だけど、僕は、自分が屈辱的で恥ずかしい思いをさせられたということを「差別」という言葉に置き換えて、「あいつは差別主義者だ」って容易に言う人にはなりたくないなって。そんな被害者意識を持つくらいなら、その悔しさをジョークにして笑わせたい。笑わせたら俺の勝ち、みたいな。僕、芸人に限らず、暴力に対する返しに興味があって。

――どういうことでしょう。

以前、ミャンマーでクーデターが起こったとき、一般市民が国軍に対してデモを起こして、軍政権を批判するプラカードを持ってたんです。その中の1人の女の子が持ってたプラカードに「元カレよりも酷い」って書いてあって(笑)。この返しの美しさといったら!

受けた暴力に対するマジレスよりも、こうしたユーモアは生きていくうえでものすごく大事だなと思って。この厳しい社会を生きていくのに一番必要なカウンターだから。

石を投げたい人は投げればいいと思うけど、例えば僕がさっき話したような、自分の発音をいじられたときとか、腹が立ちそうなときに「さぁ村本、お前は笑いでどう返すんだ?」って突きつけられてる感じがして。その返しこそ僕の理想のコメディなんで。