村本大輔インタビュー♯0♯1♯3を読む

「テレビから消えた芸人」ウーマン村本を追いかけた映画『アイアム ア コメディアン』が突きつける日本人の”生きづらさ”の正体

ジョークと差別の境界線

村本大輔が考えるジョークと差別の境界線。「世間の言葉に対する免疫力が下がってきている」中、コメディアンのあるべき姿とは_1
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原発に沖縄県・辺野古の基地移設、さらには在日コリアン差別と、政治色の強いネタを披露するたびにSNSは炎上。結果、2017年に約250本あった村本のテレビ出演は、2020年には1本と激減した。

日本のお笑い界も“人を傷つけない笑い”が全盛となる中、村本はこうした風潮をどう見ているのか?

――たとえジョークでも、言ってはいけないことがあると思います。その一線を越えてしまわないかと不安に駆られることはありますか?

そりゃあるよ。

「これ絶対怒られるな……」って思ったり。お客さんも「大丈夫⁉」って空気になって、自分でも喋りながらハッとする瞬間がある。

例えば南アフリカ出身のトレバー・ノアっていうコメディアンは、「死んだあとでこそジョークが言える」とか言って、ネタの中で亡くなったばかりのエリザベス女王の悪口をずっと言ってて。このタイミングでそれ言ったら、イギリスの人たち怒るやろうなー……って思う。

でも、そんなこと言ってたら人前でマイク持って喋られへんやん。いつの時代にも、保守的なクリスチャンだったり過激なフェミニストだったり、コメディーに干渉して「それはだめだ!」って抑圧したがる人はいっぱいいるわけ。

でもコメディアンってのは、別にどっちの味方でもないと思っていて、自分のモラルに従ってさえいればいい。時代の風に流されまいとすることが俺の中では大事。それはずっと大事にしていたい。

村本大輔が考えるジョークと差別の境界線。「世間の言葉に対する免疫力が下がってきている」中、コメディアンのあるべき姿とは_2
独演会でワイン片手にネタを披露する村本

――ジョークと差別の境界線はどこにあると思いますか?

イジメとイジリの線引き……難しい。誰がどういうシチュエーションで、どこまで理解して言っているのかも関わってくるしね。

これは本当に難しいけどコメディークラブに行く機会があったら、芸人のネタの持って行き方、落とし込み方、ネタそのものを見て欲しい。

言葉や物事のコンテクストを見ようとしない人っておるやん。例えば「女性専用車両はあるのに男性専用車両がないのは差別だ!」とかって言う人。この人は感情的になって、『痴漢行為がある』という背景が見えなくなってるよね。

俺はネタで『美女と野獣』の話をするんだけど、その中で「ババア」とか「ブス」って言葉を使ったりもすんねん。

あれは王子がとんでもない男だってことを言うために使ってる言葉なのに、「あの言葉遣いは嫌な感じがします」って言われたりなんかすると、それはあなたが話のコンテクストを見ていないからですよ、ってなるわけよ。

俺が馬鹿にしているのは王子なのであって、そういう背景が見えていない。見ないんだよね。