「ラーメン屋やっていて褒められることなんかないから…」

「火風鼎」の魅力といえばやはり麺の素晴らしさである。

独学だった邦夫さんは毎日打って食べて、その中で旨かったものを体で覚えて再現するということを続けた。製麺所にお願いするという選択肢もあるが、白河ラーメンは「手打ち麺でないといけない」というこだわりがある。

昔は麺を切った後に手揉みをしていたが、今は切ったまま揉まずに仕上げる。そうすることで表面のざらつきやボコボコ感が出る。ラーメンファンはその麺を「ザラボコ麺」と呼ぶ。白河駅前に店があった頃、常連客に「麺をいじめすぎだ」と言われたのがそのきっかけ。この麺は偶然の産物なんだと邦夫さんは笑いながら言う。

今は1日150杯、土日は朝の8時半から常連が行列をなす超人気店だ。

「今は幸せです。お客さんが好んで食べてくれて、毎週来てくれるなんて幸せじゃないですか。震災が終わり、平和が戻ってきて本当によかったと思っています」(邦夫さん)

2011年秋には息子の誉幸さんが栃木県那須塩原市に「手打 焔」(ほむら)をオープンし、全国的な人気店に成長する。

邦夫さんの息子で「手打 焔」店主の小白井誉幸さん
邦夫さんの息子で「手打 焔」店主の小白井誉幸さん

誉幸さんは子どもの頃から店を手伝いながら、大学時代は小麦粉を伸ばして切って麺にする作業を4年間やっていた。木曜までに県外での大学の授業を全部終え、週末の金・土・日に白河に帰って麺打ちをしていた。

邦夫さんは、「火風鼎」を継げとは言わず、やるなら「独立してやれ」と誉幸さんに告げた。

「息子はなかなか親の私でも真似できないことをやっています。お客さんを大事にし、仲間にもとことん付き合う。イベントでお客さんや仲間のラーメン店主の方々が手伝ってくれているのを見て、人望が厚いんだなと知りました。
息子は自分とは違うラーメンを作っていますが、いいものを作っていると思います。負ける気はしないですがね(笑)」(邦夫さん)

今回の「日本ご当地ラーメン総選挙2024」は息子の誉幸さんがエントリーを持ちかけた。「家族みんなで行ってやろう」と張り切っていた邦夫さんだったが、手打ち麺で1週間のイベントを続けるのは無理があり、途中で倒れて入院してしまった。授賞式では誉幸さんが代わりにトロフィーを受け取り、涙を流した。

「生きている限りはお店を続けます。辛かったこともたくさんありましたが、そういうものは勝手に忘れて、よかった思い出だけが残ります。お客さんに会うのが何より楽しいですし、ラーメンを作っていれば元気なんです」(邦夫さん)

邦夫さんが家族と築いてきた「火風鼎」の味が日本一になった。45年目にして日本一。
「ラーメン屋やっていて褒められることなんかなかなかないから嬉しい」と邦夫さんは言う。

#2へつづく

#2ではオヤジの背中を見てラーメン屋になった息子・誉幸さんのラーメン道に迫る

「日本ご当地ラーメン総選挙2024」の優勝トロフィーを持つ邦夫さん
「日本ご当地ラーメン総選挙2024」の優勝トロフィーを持つ邦夫さん

取材・文・撮影/井手隊長