カメラの技術がありながらも再就職しない理由

不運に見舞われたとはいえ、20代にして一時は夢を叶えた福谷さん。しかし、過去を語る口ぶりは淡々としており、達成感や充実感は伝わってこない。チャンスがあれば撮影や飲食の仕事に再挑戦したいか質問すると、福谷さんは深く考え込んだ。

「絶望とはまたニュアンスが違うんですけど…どうやってこの世界で歩みを進めていけばいいのか、わからなくなってしまって…。そもそも自分は、アナログな場所で人と対峙して仕事をすること自体に適性がない。

でも、ずっと“他人からの矢印”でしか自分の姿がわからなかった。物心ついたときから『何者かになりたい』と思い続けてきました。そうでないと評価されない家でした。今こうして肩書きを全て失ってみたら、輪郭がぼやっとして、『あれ、僕って何だったんだろう』みたいな…」

うつ状態が続いていた福谷さんだが、SNSでの自己表現などを通じて心穏やかに過ごせる日が増えてきた。車上生活は郵便も届かず、社会制度からは切り離されているものの、案外「生活できてしまった」ことも大きいという。

「ホームレスになって、初めて自分の内側からの矢印に気づいたような感じなんです。自分には何が向いているかとか、何をしたいかとか、みんなもっと早く気づいているんですよね。ホームレスはつらいです。つらいんですけど…ようやく人生が始まった、というか…」

とはいえ先が見えない生活だ。これからどうするつもりなのか尋ねると、「旅に出る」という意外な言葉が返ってきた。

好きだったはずの写真にさえ、情熱が欠けていたのではと自己分析する福谷さん。それはおそらく表現者としての内的衝動よりも、他人からどう評価されるか、どう見えるかが先に立っていたからだろう。撮影旅行かと重ねて質問してみた。

「そうですね…漠然とですけど、撮った写真を1冊にできるかな、なんて考えています。常に頭の中で何かを考えてしまうほうなんですけど、思えば写真を撮っているときだけは、その瞬間に向き合っている。

それに自分の足跡だったり、見てきたことを残せるのは実は価値があるのかなって。今になって初めて、本当の意味で写真を撮っている…ようやく写真を始められる…そんな気がするんです」

予告通り福谷さんは山梨を離れた。現実的に考えれば優先すべきは生活再建かもしれないが、福谷さんは今「自分は何者か」「何ができる人間なのか」という問いに圧倒されている。

SNS社会を例に出すまでもなく、人は誰しも心の奥底に「自分の価値を認められたい」という欲求を持っている。同時に大多数は、特別な才能も感性もなければ、何かをやり遂げる情熱もない凡庸な自分を知っている。

そこで卑屈になって成功者を貶めるのに熱中するか、志を抱いて奮起するか、等身大の自分を認めて日常の小さな幸せに目を向けるようになるか…いずれにしても人は自分を受容しなければ生きていけない。福谷さんの行きつく先がどこなのか、興味が尽きない。

車上生活を送る福谷さん
車上生活を送る福谷さん
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文/尾形さやか