ローマ教皇も同性愛を容認
同様の不一致が、最近の性的マイノリティーをめぐる議論においても見られる。会場での学生の回答は、それを端的に説明している。キリスト教では、神がアダムという男とイブという女を創ったとされている。そこでは、性別は男と女しかない。ヒトの性染色体を見る限りは、XYの組み合わせであれば男性、XXの組み合わせであれば女性となる。
ここまでは、科学と保守は矛盾しない。
しかし、最近社会的関心が高まっている性的マイノリティーをめぐる議論は、性染色体で性別が単純に二分できるものではなく、上記の組み合わせと異なる性を自らの性として認識している人もいるという点が重要だ。
ここで、科学と保守は矛盾をきたし、家庭で保守的な価値観を育んできた人たちにとっては、新しい科学を受容するのには抵抗感が出てくる。
科学の世界を一般の人々にもわかりやすく説明したことで知られるカール・セーガンは、「科学は謙虚で、修正を受け入れる」と主張していたが、保守派にとっては、それまでの常識を否定することは受け入れがたいことのようだ。
一方で、性的マイノリティーをめぐって、フランシスコ・ローマ教皇が、2023年2月、同性愛を犯罪とする法律を非難する声明を発表し、「『同性愛の傾向』がある人も神の子であり、教会に歓迎されるべき」(BBC日本語版、2023年2月6日)と述べていることも付記しておく。
カトリック教会のこうした変革は、アメリカの保守派にはどう見えるのだろうか。彼女たちに、さらに踏み込んで聞くことも頭をよぎったが、学生の口調からは、自分が認めない考えは完全に否定したいという緊迫感が感じられたので、追加の質問はやめることにした。
3つ目は、キリスト教に基づく愛の概念を大切にしていることだ。学生の「憐れみを覚える」という表現がキーワードだ。「汝の隣人を愛せよ」というキリスト教的な考え方で、十分な知識を持たない恵まれない人々に対し、軽蔑や憎悪を抱くのではなく、愛をもって接するべきということなのだろう。
突然のインタビューで、しかも答えにくい質問を投げかけられて、感情的に苛立っている面もあっただろう。そのような一種の緊張状態の中にいても、こうした表現が出てくるところに、彼女がキリスト教に基づく価値観に育まれてきたことがうかがえた。
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