「非科学主義」というレッテルへの反論
LGBTQの認識を例にとって、もう少し論を進めよう。学校では、進歩を続ける科学に基づいて物事を考えるべきだとする。こうした思考法でいくと、人間の性は、かつては単純に男女の2種類しかないと定義されていたが、科学の進歩もあって、その類型は多様であることがわかってきた。
だから、LGBTQの人たちは、異常でも異端でもなく、普通にいる人たちなのだから、受け入れるのは当然だとする。これに対して、保守的な考え方では、神が創ったのは男と女であり、それ以外は存在しないと考える。
この論点について、集会の会場で、ニューヨーク州の大学から来た2人組の女子学生たちと意見交換を行った。彼女たちは、民主党が強いニューヨーク州という土地柄もあるのか、大学の空気がリベラルすぎて、居場所がないと感じているとのことだった。
取材では、相手のフルネームを確認するのが原則だ。彼女たちは、ファーストネームは教えてくれたが、フルネームは勘弁してほしいとのことだった。
こんな些細なやりとりの中にも、社会の分断の深刻さを感じる。インタビューがテレビで放送されて、それがソーシャルメディアで拡散されて、自分たちと意見が異なる人々からネット上で攻撃されることは避けたいということだろう。
このような反応は、ここ最近のアメリカでの取材では割とよくあることだったので、この場では、時間を節約する意味もあって、あえて理由は聞かなかった。そして、ある程度会話が進んだところで、筆者は、彼女たちは聡明だという印象を受けたので、あえて踏み込んだ質問をしてみた。
「あなた方のような保守的な思想の人たちについては、非科学主義者だという批判もあります。LGBTQへの理解がないという批判もあります。こうした批判についてどう考えますか」
筆者の質問に対して、2人組のうちの1人が答えてくれた。彼女は、それまでは淡々としゃべっている印象だったが、ここで、言葉のトーンは一気に力強さを増した。
それは、筆者個人に対する批判とは感じられなかった。むしろ、「あまりにも的外れな批判が私たちにはぶつけられている」という社会に対する怒りの感情のように思えた。また、完璧な説明で疑念を払拭しなければならないという意思も感じられた。
「ヒトの性染色体の組み合わせは、XXとXYしかなくて、それで性別が決まっています。それは科学的な事実です。こうした科学的なことを知らないで、いろいろな主張をしている人たちこそ、非科学的です。そして、彼らに対して、私は憐れみを覚えます」