人生の主人公は私
ジェーン・スー(以下、スー) この間ね、道がめちゃめちゃ混んでて、私、道にめっちゃ怒ったの。
桜林直子(以下、サク) え? 道に!?
スー タクシーに乗って車内でスマホ見てて。もう着いていい頃だなって外を見たら、20メートルくらいしか進んでなかった。このままだと大幅な遅刻だ、ぎゃーって。しかも右にも左にも抜けられない場所。
この時点で「もっと早く出ればよかった」と思うのが正しい人なんだろうな。ところが私の場合、道が混んでること自体に無性に腹が立ってきた。もちろん、運転手さんに怒ったりはしないよ。
だけど、なぜこんなにこの道は混んでるのかって、頭にきちゃってね。それで、そのとき、気づいた。私はある意味、世界を信用しすぎてるんだよ。別の言い方をするなら、自分でコントロールできないことが起こる場面でも、思い通りになるに違いないという楽観的な思いが無駄に強い。
サク スーさんは人生の主人公なんだね。この話って、世界の中で自分がどの立ち位置にいるかわかるよね。スーさんの場合、自分にカメラがついていて人生の主人公の視点なんだよ。ご主人様の通る道を何者かが邪魔してるというストーリーが出来上がるでしょう。
スー フフフ。主である私を邪魔するのは誰?っていう不遜な態度ね。たしかにその側面はあるかも。そういえば、旅行先で幾つかの理由が重なって予定ギリギリになったことがあったのね。横にいた友達に「今日は日が悪いな」って言ったら、その子が呆れたように「私だったら全部自分が悪いと思っちゃう」って。
サク そのお友達の場合、スーさんとはカメラの位置が違ってるはず。もっと上から俯瞰で撮っているイメージじゃないかな。ちなみに私もそっち組。俯瞰カメラ組は主人公が自分ではないの。カメラは全体像を捉えているから自分も大勢の登場人物のひとり。
そうすると、道が混んでいたり幾つかの外的原因が重なって遅刻したりすると、すべての原因を吟味した上で登場人物のひとりとして何かできたんじゃないか、って考える。最終的に自分がもっと早く家を出ていれば遅刻を避けられたはずという結論を出すのかも。