言い返したかったが飲み込んだ言葉
今日は仕事関係で知り合った人に「来てもいいよ」と言われた飲み会の日だ。
会食に誘ってもらえるなんて滅多にないので、気持ちはウキウキしているのだが遅刻だけが心配だ。それでも何とか指定された時間に間に合った。
飲みが楽しみで1時間早く家を出たのが幸いしたのだ。安堵のため息をつく。この時点で、一日の仕事の9割はやり終えた気分だ。
ちょっと高級な中華料理店の長テーブルに20名くらいはいただろう。知っている顔と知らない顔が混在する宴が始まろうとしていた。
いつものように端っこの席に座る。全体が見渡せないと落ち着かないのだ。
グラスを傾ける音や笑い声が室内に反響する。
みな一応笑顔で「これ美味しいね」などと言いながら料理を啄んでいるが、一人ひとりの顔を穴が開くほど観察してしまう。
本当に楽しんでいるか。居心地悪そうな表情の人はいないか、気になって仕方ない。
そもそも僕は「楽しい」という感覚がイマイチ分からない。テレビで志村けんのコントを見て笑うことはあったが、誰かと雑談して笑ったことはない。
天気の話とか有名人の噂とか何気ない雑談というものが苦痛なのだ。
むしろ、大皿に盛られた料理がみんなに均等に行き渡っているかとか、そんなことばかりが気になってしまう。
だが、せっかくの宴会で黙り込むのはよくない。何か喋らなければつまらない人間だと思われるという恐怖心から、また、やらかしてしまった。
「最近、僕、発達障害って診断受けたんだよ」
「ハハハ、みんなそうですよ。私の周りなんて特に高学歴だらけだし」
向かいの席に座っていた既知の女性が間髪入れずそう発言した。
なんだって!? 君の言うみんなは大学病院で診断を受けたのか、薬を呑んでいるのか、カウンセリング受けているのか、と言い返したかったが言葉を飲み込んだ。
結局、この話題に食いついてくる者はいなかったので、話はそこで終わってしまった。
自分の過ちに気づいたのは、かなり時間が経過してからだ。診断を受けたばかりの頃は、世間で発達障害がまるでファションのように流行っている言葉だとは知らかったのだ。
若い人が「俺、ADHAっぽいんだよね」などと言えば「お前、忘れ物、多いもんな」などと突っ込んでもらえる。
若者の間では、自称発達障害がある種のエクスキューズとして、昭和の時代でいうところの「わたし、天然なんで!」と同じように使われているなんてまるで知らなかったのだ。
「僕、天然なんで」といい歳をした親父が切り出したら、そりゃキモい。かといって通院していると言えば重すぎる。
今では十分それが分かっているので、発達障害の話題は相手を選んで話すようにしている。が、診断直後はいろんな人に告げてしまい、何人かの知人があからさまに僕を避けるようになってしまった。
「おなかいっぱいだね」誰かが放ったその言葉が合図だった。時計に目をやるともうすぐ終電という時刻だ。会計を済ませみんなで最寄駅まで歩いた。
「美味しかったね」「ひさびさにリフレッシュしたわ」などという声に小刻みに聴覚が反応する。
みんなとは駅で解散し、自宅の近くまで戻った時に、体中からどっと疲れが湧き上がってきた。コンビニに寄ってベビースターラーメンの大袋を購入し、部屋に戻るとベッドに倒れ込んだ。
ムシャムシャとお菓子を食べて、一人で宴会の打ち上げをして自分をリラックスさせた。そしてシャワーも浴びずに、睡眠導入眠剤を呑んで寝てしまった。