この「語り」を「殺した側」はどう読んだのか
水原はこの被害者遺族の「語り」を読み、どう感じたのだろうか。遺族は、取り返しがつかない喪失やグリーフ(悲嘆)を抱えてしまった後の人生を歩む。歩み方は人それぞれだろうが、水原ら「殺した側」はそういったことを想像することがあるのだろうか。
あるいは、想像させるような矯正プログラムはどれほど用意されているのだろうか。一方で本郷含めて一部の被害者遺族の中では、被害から一定の時間を経過した後、「グリーフケア」を積極的に学ぶ人たちが目につくようになってきた。
しばらくすると、記事を読んだ水原からこんな手紙が届いた。
「68歩」。自分はまず致命傷を負いながら懸命に生きようとする優希ちゃんの姿を思いました。68歩、距離にして30数メートルほどでしょうか。優希ちゃんは「お母さん、助けて」と痛みに耐えながら必死に歩を進めたのだと思います。
どれほど怖かったか、どれほど痛かったか、優希ちゃんの苦しみ、本郷さんの喪失感を思うと言葉もありません。
自分は同じことをしたのです。
見知らぬ人から突然、激しい暴行を受け、命の尽きるまでの間、何を思っていたでしょうか。どれほど怖かったか。どれほど生きたかったか。それらを思いますが、最後にはいつも、こうして自分がのうのうと生きているという事実だけが残るのです。
午前中の作業を終え、食堂で昼食をとっていますと、NHKのニュースが背中に聞こえてきます。
「○○で男性が刺されて死亡した」「○○で女性の遺体が見つかった」
そんなニュースが毎日聞こえてきます。毎日、毎日、人が殺されています。本当に毎日です。それら被害者のそのときの思いや痛みなどを思いますが、反射的に自分のしたことを思います。そしてやはり最後には自分がこうして生きているという事実だけが重く突きつけられるのです。