イタリア未来派の美のセンス
そして第七条と第九条において、その好みはより明け透けになる。
七、美はただ闘争にのみある。攻撃的な性質を持たない傑作など存在しない。詩とは、未知なる諸力を人類が征服するためにしかけられる強襲であらねばならない。
九、われわれは、世界の唯一の健康法たる戦争と、軍国主義、愛国主義、無政府主義者たちの破壊活動、命を賭けうる美しき理想の数々、女性蔑視を称揚せんと欲する。
全一一条の後にマリネッティは、イタリアで「未来派」と自ら名乗る芸術運動が始まっていることを報告している。イタリア未来派の誕生だ。
当時は芸術の諸領域で、新しい美のありかたが探求されていた時期だ。ピカソらのキュビスム運動はこの1年前に始まっている。
芸術音楽では、もう間もなく(4年後だ)ロシアのストラヴィンスキーがバレエ音楽『春の祭典』を初演し、不協和音と野性的かつ複雑きわまりないリズムで聴衆の度肝を抜くのである(パリでの初演時に演奏開始間もなくヤジと、観客の間での論争が始まったというエピソードはあまりに有名)。
その3年後(1917年)にはマルセル・デュシャンが小便器を横にして『泉』のタイトルで展示。現代アートの始点を置くことになる。芸術、という枠自体がぶよぶよと揺れている時代。
マリネッティらの運動も、この時代背景とは無縁ではないだろう。攻撃性や「速度」、危険に勇気といったもろもろへの愛と、戦争をじかに結びつけているらしいその子どもっぽい素直さは、文明人の持つあやうさを突いているようで、あなどりがたいものがある。
速度の美、闘争の美、勇気とスリル……現代人が日々消費している芸術やエンターテイメントで、これらの要素をまったく持たないもののほうが少ないのではないか。
マリネッティという政治的な芸術家をせいいっぱい肯定的に評価すると、彼は自ら恥をさらして、人類の持つ無意識の戦争愛を打ち明けてくれたのである。
文/前川仁之