ハマスへの恐怖と憎悪
一般のイスラエル市民は、ハマスなどのパレスチナの武装組織に対して、どのような意識を持っているのだろうか。もちろん、2023年10月の事件が起きる前から〝テロリスト”を送り込んでくるハマスなどに対する恐怖と憎悪には強いものがあった。1996年や第二次インティファーダの際にイスラエル国内で起きた連続自爆攻撃の記憶は生々しい。平和な町で、カフェでくつろいでいると突然爆破される。バスに乗っているだけで炎に包まれる。考えるだけでも恐怖である。
長年“テロ”(パレスチナ側から見れば抵抗運動であるが)と戦ってきたイスラエル国民には、奇妙な迷信のようなものがあった。それは一度テロがあった場所は安全だとの認識である。テロのあった場所には、免疫ができるとでも思うかのような認識である。ハマスは、そんな迷信をも爆破した。同じ路線のバスを二度攻撃するなどして、イスラエル国内にはテロに免疫のある場所がないことを示した。
また、2000年から始まった第二次インティファーダの際も、イスラエル国内でハマスなどによる自爆攻撃が相次いだ。当時、ガザはすでに周囲が高い塀などで囲まれており、検問所を通らなければ容易に出入りができなかった。しかし、ヨルダン川西岸地区からはイスラエルに出入りが容易だったため、イスラエルで自爆する者は西岸からやってきた。
2002年、イスラエル政府はヨルダン川西岸地区に「テロ対策用防護フェンス」、国際的には「分離壁」として知られる高い壁の建設を開始した。すでに説明した通り、表面上はテロ対策用だが、実質は占領地の一部を併合する形で占領地に建設されている。「テロリストの越境対策」は名目にすぎないのだが、イスラエル国民は分離壁の建設を支持した。
ハマスなどの抵抗勢力による自爆攻撃の恐怖が、それほど強かったからである。占領という根本的な問題は、何ら解決されていない。しかしながら、分離壁を建設して人々の出入りを厳しく制限したことにより、確かに“テロ”は減少した。“テロ対策”は市民から評価された。
2007年にハマスがガザを実効支配して以降は、ガザからのロケット弾による攻撃が散発的に行われるようになったが、アイアン・ドームなどの防空システムによりイスラエル国内でそれほど大きな被害は出なかった。ガザで地上戦が行われる際に、数十名のイスラエル兵が犠牲になったものの、民間人の被害はごく限られたものであった。
しかし2023年10月のハマスによる攻撃は、これまでとはまったく異なる衝撃を与えた。同年12月時点で少なくとも1200名が犠牲となり、240名が人質となった。特に兵士だけでなく、子どもや高齢者も含め多くの民間人が対象となったことに、イスラエル国民は相当な心理的ダメージを受けた。イスラエル国民が子どもの頃から教え込まれてきた「ホロコースト」の集団としての記憶が呼び起こされた。
ハマスはイスラエルの殲滅を謳った憲章をもっていた。現在は、前にも見たように憲章の文言は、やや穏健になっている。しかし、イスラエル国民は、そうした微妙な変化を評価していない。そしてハマスはユダヤ人を皆殺しにしようとしているという恐怖を抱いている。
奇襲を許したことで、有権者の安全保障面での信頼をも失ったネタニヤフは、「怪物(=ハマス)を根絶やしにする」と息巻いて軍事力を行使している。国民の間では、ガザの民間人が犠牲になってもハマスを殲滅しろという声が強い。
しかしその“怪物”はどこから生まれたのか、なぜイスラエルを攻撃し続けるのかという議論が、イスラエル国内では深まっていない。イスラエル人の中には、ガザになぜパレスチナ人が住んでいるかも知らない人がいる。もちろん、多くの人はガザで何が起きているかも知らなかった。中東最強の軍隊と、世界最先端のテクノロジーを持ち、世界で最も「テロ対策」が進んだ国で、なぜ世界で最も“テロ”が起きるのか。その理由と向き合うことなしには、イスラエル国民の本当の安全はないのではないか。