戦国の世に「非戦」を提唱
続く巻5では「非攻」が説かれる。これはそのまんま、他国を攻めるな、という主張だ。反戦論としていまでも通用する。兼愛の説もここに合流してこそ意義が深まるのだ。
さてそれでは墨子はなにゆえ非攻を提唱するのか。よりによって戦国の世にあって。
まず道徳的な理由が記されている。戦争は義に反するのだと。鶏泥棒、牛馬泥棒、強盗殺人、と「不義」の例を段階的に重くしていった挙句に、墨子は問う。
「君子なら誰でも、こうしたことが不義であると知っている。だが、他国に攻めこむといういっそう大きな不義となるといかなる君子も非とせず、むしろ義の行いだと称賛しさえする。これで義と不義との別をわきまえていると言えるのか?」
戦争を起こせば1件の殺人ではすまされない。ところがその大量殺人は非難の対象とはならない。おかしくないだろうか。墨子はこれを不義とし、だからこそ非攻を説く。
同時に彼は、実用的な理由もあげる。
彼は兼愛を説く際にも非攻を説く際にも、一貫して「利」を重視するのである。超要約すれば、戦争なんかまったくもって利にならない、と言うのだ。農業をはじめ様々な仕事ができるはずの人材を戦場に駆り出し、殺し、殺させ、国庫を疲弊させるのだから、と。
この「非攻」の巻でも、反論を記してそれにさらに反駁を加える展開が貫かれる。たとえば「でも他国を攻めることで大きくなった国もあるではないか。利益をもたらしているじゃないか」という反論に対しては「昔は万の国々があったが、いまはわずか4ヵ国に減ってしまっている(それだけ多くの国々が戦で滅んだのである)。
例えて言えば、万人を診療した医師が、4人しか治せなかったようなものだ。そんなものは名医ではあるまい」と諭している。どこか特定の国に肩入れし、そこを中心に見ていたらこういう主張はできない。兼愛のなせるわざだ。
しかし、別愛をよしとしない墨子でも、特別扱いせざるをえない人がいる。夏の桀を倒した湯王や、紂を討った武王のような、歴史上の聖王とされる人々だ。
「この人たちはどうなんだ。暴君を攻め滅ぼしてよかったんじゃないのか。これすら非とするのか」
まさに武王の挙に対して伯夷兄弟が疑義をさしはさんだ、正統性の小さなほつれにまつわる問題だ。これに対する墨子の答えは──。
「彼らのやったことは攻ではない、誅というのだ」
だからいいのだ! と。
聖王のありがたみが肌身にしみているわけでもない私たちには、「勝てば官軍」と大差なく聞こえ、結局そこかよとため息のひとつもこぼれようというもの。
さすがは墨子、それだけじゃ説得力に欠けると思ったのか、攻と誅の違いを論証してゆく。しかしそのくだりは多くの現代人にはたぶん、逆効果だろう。いわく、暴君紂が滅ぼされる前には様々な怪奇現象が起きたと記録されており、これこそ天が聖王に味方した証! だからこそ誅と言えるのだ! と、こんな具合なのだ。
こうなるともう、信じるか信じないかの世界。宗教じみている。