「変態」の文章だけを死ぬまで読みたい

私は理路整然だが無味無臭の味のないガムのような文章よりも、小手先の文章術などでは決してマネできない狂気が宿った変態の文章を読みたいし、書きたいと常に思っています。

私が敬愛する文章をいくつか紹介します。

まずは、星野源の著書『よみがえる変態』(文藝春秋)から。くも膜下出血の手術を終え、病室で激痛に苦しむ星野源。看護師に痛み止めの座薬を打ってもらうことになり、気持ちを紛らわすためにどうにか気持ち良くなろうと妄想を試みるも、失敗。

痛みに耐えながら一夜を過ごした翌朝、座薬を打った看護師からまさかの「ファンです」の一言。そのときの心情を表した文章です。

感情が溢れた文章には狂気が宿る…星野源が闘病で、さくらももこが祖父の死に面して綴った文章に映る「書くしかない」想いの強烈な魅力とは_1
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最悪だ。自分のファンに座薬を3回も入れさせてしまうなんて。しかも「ファンに座薬を入れられながら気持ちよくなろうと必死で頑張った」なんて、今後どれだけ真面目なことを歌っても説得力の欠片もないじゃないか。
1カ月後の退院の日、その子はわざわざ病室まで来てくれ、数人の看護師とともに顔を赤くしながらお祝いとして私の歌を歌ってくれた。可愛かった。退院後、頭痛も治まりずいぶん元気になった頃、集中治療室でのいろいろを思い出し、遅ればせながら少し興奮したのだが、それはまた、別の話。

(星野源『よみがえる変態』(文藝春秋)より)

 どんな状況でもエロを忘れない精神力と、見事なオチ。

星野源がこれから良い曲を作れば作るほど、「今後どれだけ真面目なことを歌っても説得力の欠片もないじゃないか」の一節の破壊力が増していく究極の文章ではないでしょうか。