当初のタイトル案が「サラリーマン刑事」だった
「捜査することないんすか?」
「したいの?」
「はい、エネルギー満タンです」
「困ったなー」
これは、第1話の序盤で新任刑事・青島俊作(織田裕二)と上司である袴田課長(小野武彦)が交わす会話だ。
着任早々所轄署管内で殺人事件が発生し、念願の捜査ができると意気込む刑事になりたての青島だったが、課長からは「困ったなー」とつれない返事をされ、所轄署の現実と悲哀をいきなり思い知らされる。
殺人事件ともなると本庁が捜査の主導権を握り、所轄の刑事は本庁側からの要請や指示を待つ立場なのだ。
いざ捜査に参加できるとなっても聞き込みや情報の裏付けなど地味な仕事ばかり。犯人逮捕のような最後のおいしいところは全部本庁が持っていく。それが“規則”なのだ。
雇用関係という点から見れば、確かに刑事は特別な職業なわけではない。私たちの多くと同じく給与を得る代わりになにかと我慢を強いられる雇われの身、この場合は一介の公務員にすぎない。組織内の階級や上下関係によって行動できる範囲はあらかじめ制限されていて、規則にがんじがらめにされている。
同じく第1話では、現場に急行しようとする青島がパトカーを出そうとして、規則なので所定の書類への記入と上司のハンコを担当の係から求められ、しびれを切らす場面が出てくる。
こうした雇われの身の現実は、それまで刑事ドラマにおいてまったく描かれなかったわけではない。ただその場合も、飲み屋で漏らす「安月給」の愚痴とかあくまで本筋からは外れたところでの軽い息抜き的なふれられかたであることがほとんどだった。
パトカーを使うのにも手続きが必要というのも言われてみれば納得だが、刑事ドラマではずっと省略されていた部分だった。
『踊る大捜査線』は、その意味において従来の刑事ドラマの文法を書き換えたと言える。当初のタイトル案が「サラリーマン刑事(でか)」(これは第1話のタイトルにも使われている)だったように、刑事もまた給与生活者として他の一般企業の社員と本質的になんの変わりもない。
そしてそんな雇われの身であることが、捜査の進展、ひいては事件の解決をも大いに左右することがある。そこに物語を発見した点で、この作品は画期的だったのである。
そもそもの着想を抱いたのは、ほかならぬ脚本の君塚良一だった。
君塚は、最初放送作家としてコメディアンの萩本欽一に弟子入りした。バラエティ番組の放送作家だったが、明石家さんま出演のドラマなどをきっかけに、ずっと関心のあった脚本を手掛けるようになる。
そしてマザコンキャラの「冬彦さん」が社会現象を巻き起こした『ずっとあなたが好きだった』(TBS系、1992年放送)で一躍人気脚本家となった。
そんな君塚のもとに、織田裕二主演の刑事ドラマの脚本依頼が舞い込む。君塚は執筆のための準備として実際の警察関係者への取材を始めるが、そこで耳にしたのは、ありがちな刑事ドラマのイメージとはかけ離れた“刑事たちの日常”だった。
たとえば、事件の重要参考人の家の前で張り込みをしていた若い刑事が、夜になったら「ぼく、今日デートなんで帰ります」と言って本当に帰った話があったかと思えば、同じく若い刑事が尾行中にお腹が空いてパンとジュースを買ったのはよいが、領収書をくださいと言って手間取ってしまい、犯人を見失いかけた話もあった。
こうしたエピソードが次々に飛び出すなかで、「刑事もサラリーマンである」というコンセプトに君塚は思い至る(君塚良一『テレビ大捜査線』、22頁)。