「傷痕の奥に見えるもの」千早茜×石内都『グリフィスの傷』_3

傷はその人の時間の過ごし方が形になっているもの

石内 「あおたん」も興味深く読みました。
千早 「あおたん」は全身に刺青を入れたおっちゃんと、幼いときから男好きのする顔だと周囲から非難の目で見られて育つ女の子の物語です。
石内 昔、この小説に出てくるような刺青の写真を撮ったことがあって……そうそう、これ。今年の八月から群馬の大川美術館で展示します。今日見せようと思って、編集の方にメールで送ってもらいました。
千早 (タブレット上で石内さんの撮った刺青の写真を見て)本当に「あおたん」の刺青みたいです。すごい偶然。鳥肌が立ちました。こんなに符合することがあるなんて。
石内 もしかしたら、あのおっちゃんの刺青かもしれないですよ。そう思うと面白い。
千早 確かに。私は刺青が好きで、東京大学が収集した刺青の人皮の写真や昔の雑誌特集を持っていてそこからイメージして書きました。

石内 集めているのは東大だけじゃなくて、私は東京歯科大学が収集しているのを撮ったのよ。(写真を見せながら)これは刺青をした人の皮膚を剝いでから、中に詰め物をして人の形に整えたものを撮影したの。
千早 わっ、すごい。私が見たことのある標本は平たいものばかりでした。
石内 もちろんそういうのもあって、これは特別に詰め物をした人形。
千早 歯科大学なのに刺青の収集……。不思議です。
石内 どうしてかはわかりませんね。趣味で集めていた先生がいたのかな。大学の建物を壊すから撮ってほしいといわれた、記録の写真です。
千早 刺青をしていた人の記録は残っていたんですか?
石内 どうなんでしょう。でもそれには全然興味がないんです。ただ刺青がたくさんあって、それを撮影したというだけ。だから「あおたん」を読んでびっくりして。

千早 「あおたん」も、さっき出てきた「まぶたの光」も内容が整形に関係しています。最初は整形の話を書こうとして、取材で美容形成の先生にお目にかかったんです。その先生はとても面白くて、興味深いお話をたくさん聞かせていただいたんですが、私自身がどうしても美容形成自体を肯定的に捉えられなくて。もちろん必要としている人を否定しているわけではありません。ただ、ダウンタイムの写真などを見るとどうしてもつらくなってしまって。じゃあ自分がポジティブな気持ちで書けるものは何だろうと考えて、刺青だと思いついたんです。
 石内さんは傷痕を美しいと思って撮っているんですか?
石内 もちろん!
千早 いい返事(笑)。
石内 傷痕はとてもきれいなもの。傷痕って一見表面だけのものに見えて、言ってみればその人の時間の過ごし方が形になっているとも捉えられる。傷を受けるのは非常にマイナスイメージがありますが、傷痕として体に残っているのは命の形みたいに思えるのね。だから、美しいという表現は変かもしれないけれど、魅力的。
千早 私も傷痕がすごく好き。生きた証だと思います。「からたちの」に出てくる戦争の傷を題材にする孤高の画家のように、石内さんの作品の中には戦争のときに負った傷痕を撮ったものもあります。でも、そういう不条理な暴力で傷を受けた人の前では、傷が好きだなんて言えません。それで小説にしようと思ったのもあります。

石内 さっき整形の話が出ましたが、「あおたん」の主人公の女の子は器量良しなのにそれが嫌で、美容形成手術でそれを崩す。でもそれが彼女の望んだ自分の顔。そこがすごく面白い。何を美しく、何を醜いと感じるか、根本的な部分が各々違う。要するに美醜とは何か、の問題なんでしょうね。
千早 美容形成の先生によると一重まぶたが嫌で二重にする人がほとんどだけれど、たまに二重を一重にしたい人がいるらしいんです。それで担当編集者と、一般的な美を崩す方向の変化があってもいいんじゃないかと話しました。美醜がいろいろあってもいいのでは、と考えて。
石内 そうそう。美醜は裏返しだから、どちらも一緒のところがあるだろうし、違うところがある。
千早 そうは言っても一定化してくるというか、自分では意識してなくても、周りに言われたら嬉しくなったり気になってきたりするから、つい一般的にかわいく見えるほうに流れようとする気持ちもわかることはわかるんですよね。

石内 でも、傷をテーマに十編も書いたのはすごいですね。
千早 まだまだ書きたい傷の話があるんです。医学書を読んで、いろいろな症例写真を見ながら想像して書いているんですけれど、当たり前ですがその症例写真の傷は、石内さんの撮られている傷の写真とは全然違うんですよね。どの傷も同じではないし、その傷にまつわる物語も全部違っています。傷の数だけ物語があるし、無限に書ける気がしました。

よくわからないキズモノという言葉と処女信仰

石内 表題作の「グリフィスの傷」は見えない傷を書いた作品でしょう。
千早 ええ。あれは加害者の話で、加害をした側のことも書きたいと思って。一連の短編を書いているときに、見える傷痕を書くことは、見えない傷を書くことにつながると思いました。傷を撮った石内さんの作品でも、傷痕を提示して、そこに重なる物語を見る側に想像させるんですが、それは結局見えないものを感じさせることになります。
石内 行間みたいなものをね。
千早 そう。それで、いちばん変だなと思ったのは、さっき石内さんがおっしゃったように、女性が性被害を受けたときにキズモノになったといわれる。目に見える部分にはどこにも傷はついていないのに、これにはすごく違和感があって、どうして女性だけがそういわれるのか、そしてなぜ傷と性的な被害とが結びつけられるのかがわからない。それで調べていたら、医療に処女膜再生術というのがあるんだと知りました。

石内 昔、私も知ったときはびっくりした。
千早 レイプされた場合、体だけでもリセットできる。そのための再生術で、だからキズモノは女性にしか使われない言葉なんだと、「結露」にそのことを書きました。
 さっきここに来るときに今流行っている漫画を読んでいたら、高校生カップルに子供ができてしまい中絶手術をするのに同意書が必要になり、両方の親にバレてしまう。すると男性側の親が「娘さんをキズモノにして申し訳ありませんでした」って、女性側の親に謝っていました。その謝罪は妊娠した女の子をはじめ、いろいろな方面に失礼だなと思って。割と最近の作品で、令和になってもまだこういうふうに謝る親が描かれるものなのかと、不思議に感じました。

石内 処女信仰というのはずっとあるんでしょうね。いったい何なんだ(笑)。
千早 男性が触れたら、女性は穢れたりキズモノになったりするのかという疑問。男性がそんなに汚く暴力的なものなんだったら、隔離しないとおかしいじゃないですか。
石内 処女信仰がどこからきたのかよくわからないけれど、初めてそこを通るというのは何か神聖な感じを受けるから、神話に近いものがあるのかもしれない。
千早 それも男性社会が都合よく作ったもののような気がするんですよね。
石内 神話自体がすごくグロテスクなものだからね。でも、体が再生して、それでうまくいくなら手術すればいいと思う気持ちもありますね。体ってそんなに自然じゃなくてもいいんじゃない、という思いもあるから。

千早 手を加えてもいい。
石内 そう。ロボットまではいかないにしても、どんどん人工的になるのも人間っぽいな、という感じがする。たとえば歯とか。私は昨年、インプラントにしたんです。もちろん自分の歯が揃っているに越したことはないけれど、インプラントにしたらすごく楽になった。
千早 その手術がちょうど私の直木賞授賞式の日でした。来ていただきたかったのですが、「その日はインプラントの手術で行けないのよ」と連絡をいただいて。
石内 ワンデーインプラントというのがあって、一気に九本抜いたんです。
千早 でも、私が授賞式会場の壇上で選考委員の方と並んでいたら、石内さんがすすすーっと入って来られて、私に手紙をさっと渡して、そのまま帰ってしまわれて。あれはびっくりしました。
石内 病院がたまたま近くて、ちょうど抜けられるタイミングだったのよ。

『グリフィスの傷』(集英社)
『グリフィスの傷』(集英社)

摘出した部位や体の内部を見たいという欲望

千早 昨年はインプラント、がんの手術の上に、頭の手術もされましたし、たいへんでしたね。
石内 頭は硬膜下血腫でね。がんの手術をする一ヶ月前に頭を打ってしまって。
千早 石内さんとはずっと文通をしているんですが、あるときいただいたお手紙の字がいつもと違って何かおかしかった。
石内 退院して、元気よって電話でも話していたのに、右足が滑って歩けないし、右手が変な字しか書けなかった。
千早 手紙の最後に「なぜか文字がきたなくてびっくり」って書いてあって、その字もやはり変でぞくっときて。良からぬものを感じました。手術後に元に戻りましたね。

石内 頭を打ってすぐに病院に行きました。そのときは医者に一ヶ月か二ヶ月後に症状が出てきますっていわれましたが、がんの手術後にそれが出てきて、結局二ヶ月連続で入院と手術よ。それまであまり病気をしたことがなかったんだけど、初めて大病を患った。
千早 心配しましたが、今年の年明けにうちに来てくださったときは、すごく元気そうで、病人感が全然なかった(笑)。
石内 びっくりしたのは硬膜下血腫の手術は部分麻酔だったことです。ドリルで頭蓋骨に穴を開けている音が聞こえるのよ。
千早 意識のある中で手術をしたと伺って、驚いて。
石内 痛みは全然ないんだけど、穴を開けているなというのは音でわかる。あとそこから何か管のようなものを入れたのか、血液を抜いている音まで聞こえるんですよ。ぐじゅぐじゅ、がーがーって。それで三十分で終わった。
千早 速い!

石内 音まで聞こえるとは最初に聞いていなかったから、終わってから頭に来て(笑)。でもその手術については意識があったからこそちゃんと覚えていられて、それは良かった。
 がんの手術のときは全身麻酔で約三時間半、意識が失われていた。自分がどこかに行ってしまってどこにもいなかったんです。人生の中で三時間半が空白になってしまった。それが悔しくて、悔しくて、そのときも頭に来た(笑)。
 摘出した自分の子宮を見たかったのに、麻酔がさめずに見られなかったのも悔しいでしょ。だから、立ち会ってくれた友達に写真を撮ってもらったんです。すると後日、同じくがんの手術をした別の友達と話していたら、医者の許可を得て自分の手術過程を全部ビデオに収めてあるというわけ。私も許可を取って撮影すればよかったと後悔した。せっかくお腹を切るんだから、自分の中身も、そして子宮も見たかったと執刀医に言ったら、「それは少数派ですね」って。

千早 私も見たいほうですが、我々は少数派です(笑)。以前、医療事務の仕事をしていたとき、オペ室で摘出した細胞とかをケースに入れて、病理室に持っていっていて楽しかったです。おそらく多くの人は内臓や体の内部を見たくないでしょうけれど、私の周囲の人は手術したら摘出した部位を写真に撮る人が結構いて、特に小説家は「私の筋腫、見る?」とか言って送ってくれます(笑)。内臓の傷や痛みは外から見えないし、自分でも内臓の感覚というのはよくわからないので、もし自分の臓器を摘出するような機会があったら絶対に見たいと思う。
石内 私の子宮の写真も今度見せてあげる。赤いハート型ですごくきれいなの。それで残った傷痕も割と大きくて、二十センチくらいかな。そのうち自分で撮るつもりだけど、どうやって撮るか、これから考えなくちゃ(笑)。