『こまどりたちが歌うなら』は、主人公の小松茉子(こまつまこ)を中心にした、小さな製菓会社で働く人々の物語。
舞台となっている場所のイメージソースは、作者の寺地はるなさんが暮らし、普段から身近に感じている関西の街。
市井の人々の日常の息づかいや街で生きていく姿を描いてきた寺地さんに、この作品の背景や地元を書くこと、小説と地域性との深い関係、また作家になる前から通っていた街の書店の思い出について語っていただきました。
構成/綿貫あかね 撮影/香西ジュン 取材協力/ELE HOTEL KUZUHA
住んでいる街にありそうな小さな会社のお仕事小説
小説の背景となる吉成(よしなり)製菓は、かつて広大な湿地帯だったことから蓮根(れんこん)が特産品とされる市にあり、社員35名が働く製菓会社。主人公の茉子は同じ街にある実家から自転車通勤をしていて、生活圏と仕事場が密着している人という設定のため、限られた地域で物語が展開していく。
「小説を立ち上げるときに、どこで起こる話なのかという場所のイメージは大切にしていて、私はいつの頃からか普段歩いたり眺めたりしている街を舞台にするようになりました。たぶん、書いているときは半分自分の目で見ているのですが、半分は主人公の目になっているので、よく知っている街の感じに自然と近くなっているのだと思います」
特にコロナ禍での自粛期間中は遠方への移動が難しくなり、逆に暮らしている地域を散歩することが増えた。それもあって今作品は地元のイメージが色濃く映し出されている。
「私の書くものに小都市の話が多いのは、都会に住んで大企業に勤めて、という経験がないからかもしれません。登場人物がどこで生活しているのかは小説にとって重要で、その人たちが生業(なりわい)にしている仕事よりも先に浮かんできます。その土地では存在し得ない職業もありますし、都市なのか、山の近くなのか、海の側(そば)なのかで、人が日々思うことや行動も違ってくるはずです」
馴染(なじ)み深い街を下敷きにして、この小説ではどんな物語を紡(つむ)ごうと考えたのか。その手がかりは作家になる前の経験から、少しずつ見えてきたという。
「まずは、小さい会社のことを書きたいと思ったんです。労働を主題にした既存の小説は都市の大企業が舞台であることが多い気がしていたので。以前、会計事務所に勤めていたことがあって、そこでは小規模の会社の税金の計算はもちろん、社会保険業務や就業規則を作るような仕事も請け負っていました。ところが5〜10人くらいの会社だと、社長さんが『そんな法律どおりにやってたら会社がつぶれちゃうよ』とか平気で言うんですね。そのときは『まぁ、そうかもね』と聞いていたのですが、よく考えてみると法律が上位のはずだから、それを上回れる会社のルールなんてないんです。にもかかわらず、その会社では当たり前になっていること、慣習だからと社員たちが何となく飲み込んでいることがたくさんある。そういうことを書いてみるのはどうだろうと思ったのがきっかけの一つでした」
ある事情により会社を辞めようと考えていた茉子が、親が従兄弟(いとこ)同士である吉成製菓の社長、伸吾(しんご)に請われて、そこの事務職に転職したところから物語は始まる。つぶ餡(あん)が薄い皮に包まれた饅頭(まんじゅう)の「こまどりのうた」や、茉子が喫茶スペース付きの和菓子店「こまどり庵」で買って帰る桜餡のどらやきなど、おいしそうな和菓子が次々と出てくる。和菓子というモチーフも地元から受けたインスピレーションの一つだ。
「理由ははっきりとは覚えていないんですが、たぶん編集担当者との打ち合わせの前日くらいに、たまたま自宅近くの和菓子屋さんで何かを買ったんだと思います。そのときの記憶が引っかかって、打ち合わせのときに話していたら、その流れで和菓子専門の製菓会社という設定になりました。自分が住んでいる街を舞台にするなら、そういう業種が自然かなと思った記憶があります」