目的に対して手段がチグハグ

さまざまな議論を呼んだ伊藤氏の提言ではあるが、果たしてその妥当性はあるのだろうか。

『奨学金帳消しプロジェクト』に所属する今岡直之氏は伊藤氏の提言について、「時代に逆行している主張」と違和感を示す。

「“奨学金破産”が問題視されていることに加え、そもそも大学の学費は右肩上がりを続けています。1994年の授業料は国立大学(41万1600円)、私立大学(70万8847円)と、30年前と比較しても明らかに現在の授業料は高いです。さらなる学費アップを進める提言は不適切に感じます」

また、公平な競争を促したいのであれば、国立・公立大学の学費を上げることではなく、私立大学の学費を下げることも同時に議論してもいいのではないだろうか、と今岡氏は見解を示す。

「大学教育の質を上げることに異論はありません。伊藤氏は文科省の部会資料において、大学教育の質確保にとって必要な学生1人あたりの収入は300万円/年であり、私大では収入が不足していることを示しています。それなら私立大学への助成金を増やして学費を下げるようにすればいいだけ。

にもかかわらず、なぜか国立大学の学費値上げとなっており、目的に対して手段がチグハグです。ここでいう“公平な競争”とは、大学教育の質向上というよりも、単に学生を集めることを指した競争としか読めません。大学教育の質よりも経営の論理から出てきているように見えます」

親ガチャに左右される現状

また、奨学金に関する提言にはどう感じたのだろうか。今岡氏は「奨学金が貸付を前提とする場合、よりいっそう借金が増えるだけです」とますます奨学金の返済に苦しむ人を増やしかねないと警鐘を鳴らす。

「国立大の学費を年間100万円上げる」提言に違和感の声、続々「裕福でなくてもいけるのが国公立じゃないの?」「奨学金返済がどれだけ大変か」高等教育の門戸はどうなる?_2
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「“学費を上げて奨学金も増やす”という方法は、奨学金が給付であった場合、低所得層にとってはメリットがあるかもしれません。しかし、中・高所得層にとっては親の学費等の支払いが増える可能性が高い。そうすると、親が子どもに対してよりいっそう“力”を持つようになります。

『こんなに多額のお金を支払って進学させてやっているんだぞ』と、“毒親”や虐待親の場合でも、親が学費を支払ってくれなければ大学生活を送れないので、親から離れられず、従うしかありません。子どもが親の収入や人格に左右されやすくなるという意味では、“親ガチャ”を促進するとさえいえるかもしれません」

そして、今岡氏は親に引け目を感じることなく、世帯収入に関係なく高等教育を受けられるために必要な施策を“提言”する。

「学費無償化、給付型奨学金拡充、過去の債務取り消しなどが基本的には必要でだと考えています。これからが実現されれば親ガチャに関係なく、誰でも高等教育を受けられます。しかし、国民が声を継続的にあげ続けなければこれらの施策は実現しません。
まずは私たちが取り組んでいる『奨学金帳消しプロジェクト』に注目してもらい、奨学金によって苦しんでいる人が少なくない現状を知ってほしい。そして、一緒に声を上げてもらえるとうれしいです」

伊藤氏の提言の是非についてはまだまだ議論の余地があるが、今回の一件で高等教育の在り方を考えるキッカケとして一石を投じたことは間違いない。大学や奨学金の今後について、もっと考えていくべきだろう。

取材・文/望月悠木 写真/shutterstock