100人程度が暮らす1フロアにトイレは大便器が6個
ところがその空気が昨年3月に一変した。
「製薬大手、アステラス製薬の幹部社員の男性が赴任を終え、帰国便に乗るため北京の首都国際空港に向かう途中、北京の国家安全局に突如、拘束されたんです。50代のこの幹部社員は中国駐在歴が20年に及び、進出する日系企業で作る経済団体『中国日本商会』の副会長まで務めたことのある有名人で、中国要人にも知己が多かった。
当然中国との付き合い方も熟知しており、下手に公安と付き合ってひっかけられるようなリスクを冒すわけがない。やり手のビジネスマンなので政治・経済分野の情報収集は長年してきたでしょうが、それを本気で罪に問う姿勢を当局が見せたことに日本の駐在員たちは戦慄しました」(元中国特派員)
これに追い打ちをかけたのが、改正された「反スパイ法」が昨年7月に施行されたことだ。
「昨年春から3期目に入った習近平国家主席の体制の統制強化策の柱です。収集を禁じる『国家秘密』が何かを示さない上、それ以外に国家の『利益に関わるデータ』を入手する行為も処罰の対象にしています。これも何を指すのか明らかにされていませんが、例えば中国経済の減速を示す経済指標を入手して分析する行為も、国益に反する行動だとみなされかねない。
さらにこの法律は、中国の企業が従業員に対しスパイ防止教育と訓練を行うことも義務付けています。とにかく、何が罪に問われるかわからないことで駐在員も研究者もメディアも戦々恐々としています」(元中国特派員)
日本企業の中国駐在経験者は「一部の日本企業は駐在期間が長いベテランを中心に社員らを法施行直前に帰国させました。予測できない拘束の恐怖があることは、企業には最大の“チャイナリスク”になっています」と話す。
アステラス製薬の男性に対し中国検察は、今年3月になって起訴するかどうかの審査に入ったと伝えられた。容疑を開示することもなく1年間拘束した末に、起訴の是非の審査はさらに最長で6か月半かかり、起訴されればその先に裁判と投獄が待っている。
有罪が確定すればどのような監獄暮らしが待っているのか。
「北京市第2監獄」に収容された日中青年交流協会の元理事長は体験記で、「外国人収容者専用の施設で2段ベッドが6台置かれた房に入れられた」と書いている。房の扉は日中は施錠されず、廊下に自由に出ることができたが、夜は出られなかった。100人程度が暮らす1フロアにトイレは大便器が6個しかなく、毎朝列ができたという。
また、最初の3か月は新人教育として共産党の革命歌を嫌というほど歌わされる“洗脳教育”が続き、1週間に1度は深夜に2時間にわたって廊下を歩かされる訓練を受ける。新人教育機関が終わっても国営テレビの英語ニュースや共産党史のビデオを見せられることもあったという。
元理事長は「習近平政権になって以降、減刑が認められたケースはほとんどなく、仮釈放も一切ない。法律では75歳になると釈放してもよいという規定があるのにそれもなし。こんなところにも、習政権の人権軽視の強硬姿勢が現れていると言えるだろう」と記している。
日本国籍者が拘束された場合、日本政府は当然中国に釈放を働きかけたり、駐在外交官による面会を求めたりする。中国政府は外交官による面会は認めており、拘束中の人の扱いについて最低限の監視はできている状態だが、范教授のような中国人が拘束された場合はこれもままならない。
范教授の健康状態などが心配される。
取材・文/嵯峨哲太郎 集英社オンラインニュース班