二次面接で頭が真っ白に
「ラジオNIKKEI」は1954年設立の放送局で、2003年に「日経ラジオ社」に商号を変更し、現在にかけてラジオNIKKEIの愛称で知られている。開局した当初から、平日は株式市況、週末は中央競馬の実況中継を中心に編成され、今もメインコンテンツは変わらない。
入社試験を受ける段階で、当然のように藤原は会社概要を調べていたものの、競馬の対策はせずに面接に臨んだそうだ。
「もちろんラジオNIKKEIが競馬に注力している会社だとは知っていたのですが、当時は競馬コンテンツに携わっている局のアナウンサーが全員男性だったんです。なので、お恥ずかしい話ですが、私は競馬に関わることはないだろうと、競馬の知識がほぼゼロの状態で面接に挑みました。
ただ実際のところ、当時のラジオNIKKEIは、性別関係なく競馬実況を担当するアナウンサーを募集していたそうです。そんなことも知らない私は、二次面接で競馬に関する質問ばかりされ、『あなたは競馬実況をする覚悟がありますか?』と聞かれ、頭が真っ白になりました(苦笑)。
挙げ句の果てに、二次面接では“架空実況”の実技試験もあったんです。ディープインパクトなど歴代の名馬を6頭ほど使って、即興で実況をしてくださいって。
もちろん競馬実況がどんなものかわからなかったので、かつて運動会の徒競走を実況した記憶を思い出して、『ディープインパクトさん、頑張ってください!』なんて、いま思うととんでもない実況をしてしまいました(笑)。
まったく手応えもないまま二次面接が終わり、会社のエレベーターを降りた瞬間、競馬実況を調べて聞いてみたんです。そしたら競馬実況の難しさと、それをこなすアナウンサーの技術の高さに驚き、そこから競馬実況に興味を持ち始めました。レース映像を見ながら、独学で競馬実況を練習して、三次面接で、少しはリベンジを果たせたかなと思います」
競馬予想が業務の一環
こうして無事に内定を勝ち取った藤原は、ラジオNIKKEIのスポーツ情報部に配属される。ゆくゆくは競馬中継に携わるという前提のもと、本格的に競馬の知見を深めながら、競馬実況の練習に打ち込むようになる。
「とはいえ、競馬は専門用語が多くて、最初は先輩がなにを話してるのかもわからないぐらいでした。『仕掛け』とか『上がり3ハロン』とか、わからない単語が登場するたびに、先輩に意味を聞いてメモしてはの繰り返しでした。あとは当時、活躍していたアーモンドアイという牝馬に惹かれ、勝手ながら推し馬を作って学んでいました。
入社したての頃だと、業務の一つに『レースの予想』が組み込まれているんです。毎週末のレースから、来そうな馬を順番に5頭選んで、理由を書いて先輩に送ります。そうすると必然的に馬のことを調べたり、過去のレース映像を観たりするので、自然と勉強になりました。
ちなみに自分の予想は、担当している番組内で紹介しているのですが、成績はイマイチで本命馬が全然こないんです(笑)。それがリスナーにもバレて、『当たらない人』認識されてしまっているので、もっと精度を上げて頑張りたいです。そうした馬券の復習も競馬の勉強に役立っていますね」