「“東洋の時計王”の志を演じる、描く。」楡周平×西島秀俊『黄金の刻 小説 服部金太郎』_1
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日本が世界に誇る時計メーカー・セイコーの創業者・服部金太郎(はっとりきんたろう)の人生を、
作家・楡周平さんが小説に描いた『黄金の刻(とき) 小説 服部金太郎』がこの春、テレビドラマ化される。
その主人公、服部金太郎を演じるのは、今や世界でも注目される俳優・西島秀俊さん。
服部金太郎によって結ばれた原作者と主演俳優が、時を超えてなお生き続ける“東洋の時計王”の起業家精神、
セイコー創業者として“時計”製造に懸けたその志に思いを馳せながら、ここに語り合う。

構成・文/西村章 撮影/大槻志穂 ヘアメイク(西島)/亀田雅(Masa Kameda) スタイリスト(同)/カワサキタカフミ

にしじま・ひでとし ◆ ’71年3月29日東京都出身。俳優。『Dolls [ドールズ]』『CUT』『MOZU』シリーズ、『きのう何食べた?』『首』など映画、ドラマ、C Mなど多数の話題作に出演。長編アニメ映画『風立ちぬ』や『名探偵ピカチュウ』の日本語吹替版などでは声優も務める。’21年、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』では主演を務め、その演技は国内のみならず海外でも高く評価され、数々の映画賞を受賞。
にしじま・ひでとし ◆ ’71年3月29日東京都出身。俳優。『Dolls [ドールズ]』『CUT』『MOZU』シリーズ、『きのう何食べた?』『首』など映画、ドラマ、C Mなど多数の話題作に出演。長編アニメ映画『風立ちぬ』や『名探偵ピカチュウ』の日本語吹替版などでは声優も務める。’21年、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』では主演を務め、その演技は国内のみならず海外でも高く評価され、数々の映画賞を受賞。

服部金太郎を書く、演じる

 服部金太郎さんという人物を実際に演じてみて、いかがでしたか。僕は小説家なので、この物語を書くにあたっては史実を元にしながら自分なりに服部金太郎という人物像を掘り下げて物語を作ったんです。

西島 楡さんの原作小説を読ませていただくと、服部金太郎という人物が自分の頭の中のイメージとして、本当に生き生きと浮かび上がってくるんです。実際に起こった事実やその時代を生きた人々を元に、そこから洞察してストーリーや人物像を作り上げていく小説の手法は、今回自分が服部金太郎さんを演じるに際しても非常に参考になりました。とても面白く読んだので、今日こうやってお目にかかることをすごく楽しみにしていたんです。

 じつは私、このコロナ禍の4年間で配信ドラマにすっかりハマってしまいまして、Netflixなどのサブスクリプションサービスに四つぐらい加入しているんです。ドラマを楽しんで観ながら、俳優さんたちの演技や感情表出などの人物表現の凄みにいつも感心しているんですよ。でも、今回のドラマ『黄金の刻』についていえば、服部金太郎という人は、意外に感情の起伏があまり多くないキャラクターなんですよね。西島さんは、そのあたりをどう感じながらこの冷静な人物を演じていたのか、とても興味があります。

西島 一人の男性が、丁稚奉公から始まってやがて世界的企業を作るまでに至った、そのエネルギーや思いの源泉って何なんだろう、そんなふうに大きな企業が作られてゆくというのはどういうことなんだろう、というのが演じる側にとってもやはり大きな興味でした。その答えのひとつは楡さんの原作小説や今回のドラマの脚本の中にあって、要は彼の周囲に人が集まってくるんですね。金太郎自身も、たとえば若い職工の人たちに学校を作って、ここに来れば自分の可能性がもっと広がる、働きに来ているだけじゃないんだ、というチャンスの場を与えている。もちろん先見の明や洞察力や揺るがない信念を持っていたことも大きな理由なんでしょうが、何かこう、彼には人とつながってゆく才能があったのだろうなと感じました。
 
とはいえ、確かに写真を見ると冷静というか恐(こわ)そうな雰囲気なんですよね(笑)。実際にはそういう厳しい面もあったのかもしれませんが、この当時の人にしては珍しくお酒もあまり飲まなかったようで、そんな生真面目さが人間的に可愛らしいチャーミングな魅力として多くの人を惹きつけたのだろうと自分なりに読み取って、ドラマの中では演じています。

人との出会いが人生を変える

 私は66歳なんですが、今まで自分の生きてきた時間を振り返ってみると、人との出会いがその後の人生を変えてしまうことって意外とありましたよね。

西島 たしかにそうですね。

 西島さんもきっとそうだと思うんです。たとえばいろんな監督さんや作品と出会って、その中でこの配役にアサインされていなかったら、あるいはこの映画やドラマに出ていなかったら、おそらく自分の現在地は少し違うものになっていたのかもしれない、というご経験がおありになるのではないでしょうか。
 服部金太郎さんの生涯でも、やはり人との出会いは本当に大切で、とても大きな意味があったのだろうと思います。運命的な出会い、とよく言いますけれども、吉川鶴彦(よしかわつるひこ)さんとの出会いはまさにそれですね。あの人と出会わなければ、服部時計店から精工舎へ、そして現在のセイコーへと成長していくこともなかったかもしれません。でも、それを遡って考えてみると、実は最初の奥さんと離婚しなければ吉川さんに会うこともなかったんですよね。だから本当に「禍福はあざなえる縄のごとし」じゃないですけども、どんな不幸に見舞われたとしても、それがあったからこそ後に福に転じる、ということだって多々ある。人の一生には本当にいろんなことが起こり得るから、いい人生だったかどうかは最後までわからないものなんですよ。
 今は人生のある部分や年齢だけを見て、簡単に勝ち組だとか負け組だと判断してしまう傾向もあるようですが、実はそんなことは全然なくて、最後の最後に瞼(まぶた)を閉じるまで人の一生なんてどうなるかわからない。

西島 僕自身の52年の人生でも、この出会いがなければ今とはまったく違う人生になっていただろうと思うことは多々ありました。その意味では、とても幸運に恵まれた半生だとつくづく思います。

 たとえその時は失敗に思えることであったとしてもね。「こっちへ行きたいと思っているのにどうして行かせてくれないんだろう……」と悩んでいたものが思わぬ方向に進むきっかけになって、それが後に「あ、ここでこうなることにつながっていたのか」ということだって、人生にはいくらでもある。「あの時の失敗があったから今があるんだ」と思える人生を送っている人は、とても幸せだと思うんです。

西島 服部金太郎さんの場合は、逆境を必ずプラスに変えていくじゃないですか。それはご本人が持っていた、逆境をむしろチャンスと捉えてさらにチャレンジしていく、という資質も成功の大きな理由だったのだろうと思いますね。

 事業に懸けるストイックさと、そして精神的にすごく真面目な部分がある。今で言えば、野球の大谷翔平選手とも共通すると思うところがあります。

西島 事業の成功者には、一度は破産を経験されている方が少なからずいらっしゃるようですね。普通の人ならそこでもう諦めて撤退するところを、さらに踏ん張る胆力をお持ちだから最後に成功するんでしょうね。

 波風の立たない人生なんてないですから。会社の経営だってそうだし、身近なところでは、一見幸せそうな家庭だって、じつは外から見るほどラクじゃないものですよね。誰しも一所懸命生きていて、どうやって苦しい状況を乗り越えていこうかと皆がんばっている。
 セイコーについていえば、時刻・時間というものを正確に知るニーズがあった時代に成長してきました。私は昔フィルムメーカーに勤めていたのですが、フィルムもそうなんです。ガラスに薬品を塗って撮影したものを持ち帰って数日後に仕上げる、ということをやっていた黎明期の時代は、写真なんて年に何回も撮るものではなかった。そこにフィルムというものが登場し、さらにロールフィルムになって大きく普及しはじめました。すると、動画でも静止画でもフィルムがなければ写真を撮れないということになって、撮ったら今度は現像しなければならない。現像すると、次は焼き付けなきゃならない。というふうに、三つの大きなビジネスチャンスが生まれることになりました。映像を残すためにはフィルムがなければダメだという時代が長く続いて、そういう時はどんどん業界が大きくなっていくんです。時計も同じで、世の中が時刻・時間というものを基準にすべて動いていくようになる。すると、皆が時間や時刻を知る必要が出てくる。それで柱時計が普及して、それが今度は懐中時計になり腕時計になり、という流れです。そういった技術の進歩とともに企業が成長してきた、という背景があったんですよ。

西島 本当に、時代の波といろんな出会いのタイミングが合った、ということですね。