続いてきた決まり事には容易に変えられない理由が

『こまどりたちが歌うなら』は春に始まって翌春に終わる物語。春に入社してすぐに茉子は、吉成製菓が旧態依然の会社であることに気づく。昔に作られた就業規則は更新されておらず現在の労働基準法にも則していないこと、会社の都合のいい働き方になっていること、それを女性社員も内面化し、労働者としての権利が守られていないことについて、その都度先輩でパートの亀田(かめだ)に話すが、無言でスルーされるのだった。前の会社で亀田のように何も言わなかったことで苦い経験をした茉子は、この状況を何とかするために今度は黙らないことを静かに決める。しかし、事はそう簡単にはいかない。

「決まっていることを変えるのはすごく難しいこと。この小説も最初はもっといい人と悪い人がはっきりしていて、共通の問題に向かって解決の方法を見つけていくといった、わかりやすい話を目指していました。読者のことを常に考えているので、たぶんそのほうがカタルシスがあってすっきりするから、求められているのかなと。でもプロットを決めた後に、この物語を自分は読みたいのだろうかと疑問が湧いてきた。書く自分が面白いと思っていなかったらやっぱり書けないんです。古い体質の会社に入ってそれを変えていく物語は痛快ではあります。でも、それまで受け継がれてきた決まり事は、ずっと働いてきた人たちが最適解として選んできたもの。そうなっているのにはそれなりの理由がありもする。だから何でもこっちのほうが新しいから、便利だからと変えていくのは、果たしていいことなんだろうかという疑問が頭に浮かんできたんです」

 それは、寺地さんが地元のPTAや子ども会の役員を積極的に引き受けてきたなかで気づいたことだった。もっとみんなが動きやすいやり方があるだろうと思うことがたくさんあるけれど、任期は1、2年であり人がどんどん入れ替わっていく。そのため、ある程度持続可能な方法が求められ、その上での最適解が選ばれてきたのだろうとの考えに至った。変えることの難しさを感じ、茉子も同じように思ったのではないだろうか、と。

「書きながら思ったのは、はっきりしすぎているキャラクターやわかりやすい展開にするのは嫌だということ。当初は、声が大きくて部下の正置(まさおき)さんにいつも怒りをぶつけている営業の江島(えじま)さんや、昔のやり方を踏襲しようとしている会長を、敵というかラスボス的な存在にして、茉子ちゃんと全面対決させようと考えていました。でも一見悪に見える江島さんも、基本真面目でお客さんに対しては非常に丁寧に接することができる人。社員を守ろうとする気持ちも強く、取引先から無茶なこと言われたらビシッと言い返せる。何十年も同じ会社にいて“退職願”も書けないという、ある意味でちょっと無知なところがある男性です。そんな人を悪としてわかりやすく対決させるのはどうなんだろうかという迷いが生まれてきた」

 どんな人間でも内面の感情は瞬間瞬間で移り変わるもので、常にグラデーションの存在だ。一つのことをしていても一方からは疎(うと)まれて、他方からは称賛されることもある。悪い人、いい人というような二元論では語れない。

「人間というのはドラマを作るためにいるわけではありません。その人たちそれぞれのポリシーがあって、それが相容れないから対決するのならわかるけれど、盛り上げるためにキャラクターを窮地に追いやったり、やり込めたりするのはちょっと違う。それで途中から変わっていって、結果的にこういう話になりました」

「主人公の目で街を眺めてみたら」『こまどりたちが歌うなら』寺地はるな_7
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「言うだけならタダ」だから、とにかく言ってみる 

 この小説から受け取れる大切なことは、声を上げること。その象徴のように“こまどり”が、店名やお菓子の名前になって登場する。

「和菓子店の名前を考えていたときに一番しっくり来たのがこまどりでした。でもどんな鳥か全然知らなくて、調べてみたらすごく高く大きな声で鳴くと書いてあったんです。へえと思って作品を書いている間に、その名前がぴったりはまっていく展開になってきた。私の小説は勘で選んだものたちがどんどんつながってできていくことが不思議と多いんです。だからこのこまどりも、進むうちに物語の大事なものと結びついていきました」

 茉子は休日出勤手当や代休取得など、労働者としての当然の権利を主張したことで社内から厄介な人と見られ、黙ることも考えるけれど、やはり声を上げ続ける。その結果、見えなかったことが見えてきて、労基法に照らし合わせて独自ルールを正すだけではない展開に向かう。

「人間は主張を聞いてもらえない状況が続くと、亀田さんのように黙るようになってくるもの。でも口にしてみると案外すんなり受け入れてもらえることもあります。私はちょっとした希望もあまり言わないタイプで、それは子どもの頃からの、自分が我慢すれば波風は立たないという発想が染み付いているから。でも20代の頃にいろいろな会社の人が集まる研修会で、エアコンが効きすぎて寒かったので私はカーディガンを羽織ったんですが、斜め前の人が『冷房の温度を少し上げてもいいですか』と講師に許可を得て設定温度を上げていた。それだけのことですが、言っていいんだと。駄目と言われたら、そうなんだと思えばいいだけなのに、そんな単純なことを私は今まで自分が我慢すればいいとずっと思い続けていたんだと気づいて、とてもびっくりしました。これも土地柄なんですが、大阪には『言うだけならタダ』『言ってみてうまくいったら儲(もう)けもん』みたいな思想が浸透している。それはとてもいいこと。だからもっと気軽に言ってみてもいいのかもしれない、と今では思います」

「ちょっと寒い」と素直に言ったときに、「私はそんなに寒くない。気温は高い」と反応する人がときどきいる。それは「寒いと思っているあなたはおかしい」という感覚の否定につながるもの。悪意はなくてもそれが続くと、だんだんと言っても仕方がないという諦めになっていく。かつて、亀田さんが当時の社長に訴えてもいなされてだんだん口をつぐんでいったように。

「怒ったり文句を言ったりするのは疲れるから、無になったほうが楽なのはわかります。でもそこを超えて言い合いたい。『いいえ、私は寒いんです』と。ただそれも、亀田さんに比べて茉子ちゃんが特別に強いとか、言い方がうまいというわけではまったくなく、時代というのもかなり大きいと思います。書き手の私も生活していくなかで、当然社会の影響を受けています。その上で目にするものも考え方も、固まるのではなくてむしろ変わっていきたい。ここ数年で、正しいと思っていたことがもしかすると間違っていたのかもしれないということが多々ありました。間違っていたとわかれば変えていけばいいんです。自分の正しさみたいなものに、しがみつかずにいたいなと思います」

「小説すばる」2024年4月号転載

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