「漏れたら潰される。別所、稲尾の時代がそうだった」
選手会総会が始まった。議事は粛々と進み、通常の議案が消化されると、いよいよ長嶋が紹介されて登壇となった。
外部の人間をシャットアウトしたバンケットホールの中で長嶋による労組結成についてのプレゼンテーションが始まると、選手たちは、初めて聞く組合という概念にとまどいを隠せなかった。野球に明け暮れて来たほとんどの選手たちは、労働者の権利確保について考える機会とは無縁の生活を過ごしてきたからだ。
社会人出身の選手もいたが、野球の技量を買われて入社した人間はそもそもが経営側に近い部署にとどめ置かれるケースがほとんどであった。
会場で選手からいくつか質問が上がって来た。集約すると、つまりところ「労働組合が出来るとしてそれは我々にとってどういうメリットがあるのですか?」というものだった。
長嶋は、選手が個人ではなく、組織として要求を出すことが担保されること、損害賠償などを球団ではなく、コミッショナーに出せるということなどを詳しく話した。その具体的な要求の中に選手たちが渇望する練習設備の充実や拘束時間の緩和、さらにはその先の一軍最低保障やFA権や年金があった。
この説明会は球団の分布に合わせて東(東京)と西(大阪)で二回に分けて行われ、内容が周知されるにつれて大きな支持が大きく広がっていった。その度に長嶋は選手たちへのかん口令を徹底させた。
「漏れたら潰される。別所、稲尾の時代がそうだったのだから」
すべての選手たちは見事にこの約束を守り切り、誰ひとりとして口外しなかった。
1985年、阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を決めてから16日後。9月30日に長嶋は地労委に組合資格審査請求を提出する。破竹の勢いのタイガースが続けて日本一になってから3日後の11月5日に想定通り、組合として認定された。
プロ野球に先駆けてプロの音楽家たちが作った日本音楽家ユニオンが2年前に認められていたことも大きかった。すべては秘密裏に行われ、その上で長嶋は登記を急いだ。
「法人登記してしまえば既成事実になるし、球団が潰そうとしてももう対等の立場で戦えるわけだから、選手にかん口令を敷いたまま急ぎましたよ」
そして11月19日にプロ野球選手会労組は法人登記される。これは間一髪とも言えた。都労委の中立の立場にある人間が、登記を終えた直後にマスコミに組合結成の動きをリークしてしまったのである。