世界はパレスチナ人の
悲劇を〝見なかった〟
途方もない悲劇が起こったのだが、当時の世界では、パレスチナ人に対する同情心が燃え上がりはしなかった。その理由の一端は、第二次世界大戦中に数百万人のユダヤ人がヨーロッパで虐殺される事件が起こり、世界の人々がユダヤ人に同情的だったからである。この点についてはすでに言及した。もう一つの理由を挙げるとすると、パレスチナ人の悲劇を伝える映像が世界に出回らなかったからである。これは大きい。世界は、この悲劇を〝見なかった〟のである。
かつてパレスチナ問題のテレビ番組を制作した経験がある。その時に直面した課題は、このナクバの映像探しだった。写真は少しあるのだが、動画が見つからない。当時は動画の撮影が、まだ技術的に難しかったのか。それもあっただろう。しかし、もっと大きな理由があった。それを教えてくれているのが、『ニューヨーク・タイムズ』紙の特派員だったトーマス・フリードマンだ。アメリカでベストセラーとなった『ベイルートからエルサレムへ』という著書で以下の旨を語っている。
〈動画を撮影したヨーロッパのジャーナリストはいた。だが、動画のインパクトを恐れたイスラエルの諜報当局が、空港の通関時に密かにフィルムを光にあてて映像を破壊した。ジャーナリストはヨーロッパに戻って役に立たないフィルムを発見した。イスラエル側は映像の力を十分に認識していた〉
ところが現在は、ガザから殺戮の様子を生々しく伝える映像が届く。こうした映像が、全世界的規模での即時停戦を求める運動を引き起こしている。これまでならば、攻撃を受け殺戮される側は、ただ殺されるだけで、映像を発信することはできなかった。ところが、現在ではスマホさえあれば映像を撮影し世界に向けて発信できる。
そして、現在では誰もがスマホを持っている。イスラエルは現地から送り出される映像を管理できなくなった。殺される側の視点が、世界で共有されるようになった。映像によって喚起された国際世論が、今回の戦争の即時停止を求める運動のエネルギーの源泉になっている。道理を求める国際世論と冷酷な国際政治の論理が、力いっぱいの綱引きを演じている。世論の味方は映像である。
ところでスマホに最も縁の深い人物は誰だろう。それは、この機器を普及させたアップル社の創業者であるスティーブ・ジョブズだ。ジョブズの両親はアメリカ人である。だが、実はジョブズの父と母は育ての親である。
ジョブズの産みの親はシリア生まれだ。アブドルファッターフ・ジョン・ジャンダーリーというシリアからアメリカへの留学生だ。ジャンダーリーは、理由があってスティーブを養子に出し、引き取ったのがジョブズ夫妻だった。ジャンダーリーは大学卒ではなかった。そこで、養子に出す際に、息子を大学に進学させてくれと頼んだと伝えられている。
このスティーブが長じて、アメリカ西海岸の名門のスタンフォード大学に進学した。その後にアップル社を創業し、パソコンやスマホを製造して世界を変えた。産みの親との関係は微妙だったようだ。そのジョブズが、どのような感情をアラブ世界に抱いていたのかは知るよしもない。しかしパレスチナの北にあるシリアにルーツのあるジョブズが普及させたスマホが、ガザの悲劇を世界に伝えている。
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