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その理由は、実は「よくわからない」

『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(68~69頁)では、2巻12話で「(アシㇼパは)もうすぐ入れ墨すべき年であるのに嫌だと言う」とフチ(註:アシㇼパの祖母)が言っている場面を紹介しながら、それより40年近く前の1871年にはすでに入れ墨の禁止令が出ていて、アシㇼパが入れ墨をしたら法律違反なのだという話をしました。

でも実際には、アシㇼパが1890年代の生まれだとして、それより後に生まれた人でも入れ墨をしている人は少なくありませんでした。私がお話を聞いてきたおばあちゃんたちはだいたい1900年前後の生まれでしたが、その中にも入れ墨をしている人が何人もいました。法律で禁止されたからと言って、長年の風習というのはそうやすやすと消え去るものではないのです。

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2巻12話より ©野田サトル/集英社
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この入れ墨は何のためにしていたのかというのはよく訊かれる質問なのですが、よくわからないというのが正確な答えでしょう。

ただ、昔、私が中学生ではじめて北海道旅行をした時に、アイヌの女性が和人にかどわかされないように入れ墨を入れてわざと醜い顔にしたのだと、バスガイドさんが説明したのを聞いた記憶がありますが、それはまったくの作り話だと思います。

入れ墨をするのはアイヌだけではない

そもそも、入れ墨はアイヌの専売特許ではありません。琉球(りゅうきゅう)の人たちもハジチと呼ばれる入れ墨を手の甲にほどこしていたのは有名な話ですし、台湾先住民の「紋面(もんめん)」、ニュージーランドのマオリ族の「モコ」など、入れ墨文化は東南アジアから南太平洋にかけて広く広がっています。

英語のタトゥーという言葉自体が、タヒチ語のタタウから来ているという説もあります。北方に目を向けても、アリューシャン列島に住むアレウトや、シベリア最東部のチュコト半島に住むチュクチにも、顔に入れ墨をする習慣があったことが知られています。

それどころか、日本列島の住民に関する最古の資料といわれる「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、次のようなことが書かれています。

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松尾光『現代語訳 魏志倭人伝』(KADOKAWA、2014年)

(倭の地の)男子は成人・子ども(あるいは、身分の上下)の区別なく、みんな、顔面や身体に入れ墨をしている。(中略) 夏后(かこう)の少康(しょうこう)の子が会稽(かいけい)に(王として)封ぜられたとき、みずから髪を切って身体に入れ墨をし、(身をもって)それで蛟龍(みずち)の害を避け(るように教え)た。(だからそれに倣って)今の倭の海士(あま)たちは、巧みに水に潜って魚や蛤(はまぐり)を捕らえ、身体に入れ墨を施してそれによって大きな魚(鮫など)や水鳥(海鷲など)の襲撃を厭(おさ)えている。(ほんらいはそうだが)その後は、しだいに飾りとなっている。諸国の入れ墨はそれぞれ異なっていて、ある者は左に、ある者は右に、ある者は大きく、ある者は小さく施している。尊いか卑しいかで、差がつけられている。

(松尾光『現代語訳 魏志倭人伝』KADOKAWA、2014年)

ということで、彼ら(倭人)が和人の先祖だったとすると、男女の違いはありますが、和人もかつて入れ墨をしていたのであり、日本列島を含んで、太平洋の人々は北から南まで入れ墨文化を持っていたのです。だから「なぜアイヌは入れ墨をしていたのか?」より「なぜ和人の先祖は入れ墨するのをやめてしまったのか」という理由を追求した方がよさそうです。