部員の存在価値

野球をやりたい者(選手の候補者)が増えると、結果的に、部員ひとりひとりの尊厳は守られなくなる。著者は、その「真実」を東京六大学野球における〈残存率〉【3】で説明している。1年生部員のうち、何パーセントの者が4年時まで部員として在籍していたのかを計算したものだ。

〈一九五三年から六二年の部員数が増加している時期は残存率が低下する一方で、一九六三年以後に部員数が減少すると、残存率は上昇しているのである。部員数が増加すると、部員一人一人の存在価値は下がり、監督や上級生から体罰やしごきを受けやすくなり、退部する部員も増加する。部員数が減少すると、部員一人一人の存在価値が上がり、指導者や上級生も安易に下級生に体罰やしごきを加えて彼らが退部することがないよう配慮していたことがうかがえる〉【3】

この構図は、すっかりそのまま経営者と正規雇用者、フリーランス(非正規雇用者)の関係に置き換えることができるだろう。経営者(監督)、大手企業の正規雇用者(レギュラー、準レギュラー部員)、フリーランス(それ以外の部員)【7】。

昨年末、出版されてすぐに目を通した「現代の召使」を研究した1冊【8】でも、なぜ使用人が富豪に〈無価値なモノ〉【9】のように扱われ、捨てられるのかが、野球と同じ仕組みで説明されていた。

〈本質的にこうした行為は、使用人の交換可能な特性を示している。雇用主と使用人の相互依存は幻想だ。使用人は雇用市場にあふれているため、富豪はいつでも掘り出し物を見つけることができる〉【9】

写真/Shutterstock
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正社員の理屈

同じく昨年末に刊行された『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのになぜ安く使われるのか』【10】でも類似の分析がなされている。ひとたび人手が足りてしまうと――過度な価格競争が発生し――ごく一般の労働者(経営者および大手企業の正社員以外の労働者/つまり、日本の労働者のほとんど)の報酬は抑制されるという、現世の実相だ。

財界のお偉方は言う。「人手が足りない」。
高給取りの正社員である新聞記者も言う。「移民労働者なしでは、もはや日本社会は成り立たない」。

だが、これは嘘だ。嘘でないとすれば、きわめて不誠実な論法だ。移民労働者がいなければ成り立たない「日本社会」とは、「問題を抱える現在の日本社会」のことである。つまり、ごく一般の労働者にまともな賃金を支払おうとしない、現在の経済構造。

コンビニエンスストアのアルバイトが足りない。建設現場の作業員が足りない。タクシーの運転手が足りない。介護士が足りない。工場のパートが足りない……これらはすべて、安い賃金で労働者を使い捨てにする経営者と元請けの大手企業の正社員たちの理屈に過ぎない。まっとうな報酬を支払うのであれば、働く意思を持つ者はいくらでもいる。

彼らは「いまの賃金」で働く〈交換可能〉【9】な人材を補充するためだけに、移民労働者の導入を推進しているのである。そして「人手不足」が緩和されれば、経営者たちはふたたび〈交換可能〉な人材に対する支払いを低減させるだろう。