対策本部設置の問題点とは

特定災害対策本部というのは、位置付けとしては非常災害対策本部よりも軽い災害時に設置するもので、総理は基本的に参加すらしない。つまり、この時点で政府は能登半島地震の被害を軽く見ていたことの証左といえる。(*過去の非常災害対策本部および特定災害対策本部等の設置状況は内閣府 防災情報参照)

現に、当日20時0分~20時33分に防災担当大臣(自民党・松村祥史 参議院議員)を本部長とする第1回会議を開催したものの、岸田文雄総理は不参加。そして、この特定災害対策本部の開催はわずか1回でその役割を終えた。22時40分(地震発生6時間30分後)、より重大な災害向けの「非常」災害対策本部の設置をようやく決定したからだ。

これがまず、岸田政権の初手誤りを象徴する出来事といえる。

一方、直近20年で特に被害が大きかった2つの大地震では、いずれも迅速に非常災害対策本部以上の位置付けの本部が設置されていた。

・東日本大震災(2011年):地震発生28分後に緊急災害対策本部を設置
・熊本地震(2016年):地震発生44分後に非常災害対策本部を設置
(*緊急災害対策本部は非常災害対策本部よりさらに重い災害時に設置する位置付け。設置されたのは東日本大震災の1回のみ)

《地震後に新年会行脚》岸田政権の能登半島地震における明らかな初動遅れ…「空白の66時間」の安倍政権よりも劣化している災害対応_2

しかも、能登半島地震では非常災害対策本部の第1回会議が開催されたのは一夜明けて翌2日の9時23分から。設置決定から実に10時間43分の空白が生まれており、岸田政権のスピード感のなさを象徴している。こうした1~2日目の初動がいかに遅かったかは、同じ自民党である第2次安倍政権時代の熊本地震と比べても明らかだ。

同地震は2016年4月14日21時26分(本震は約28時間後)に発生すると、当日22時10分(地震発生の44分後)に非常災害対策本部を設置。そのまま間髪を入れず23時21分(本部設置の1時間11分後)に第1回会議を開催。安倍晋三総理(当時)が本部長のため、当然ながら安倍総理も自ら参加。設置決定は同じ22時台なのに、翌朝に第1回会議を開催した能登半島地震とは大違いだ。