「紙でも食べろ」と言われて新聞紙を食べて気絶
彼女が2歳のとき、母親が電車と接触事故を起こして死亡した。父親が育てられることになったが、トラックの運転手をしていたため家に帰らないことがよくあった。そのため、小学校4年くらいまでは、近所に暮らす祖母や叔母が世話をしに来たり、そちらに預けられたりしていたが、そこでしばしばいじめに遭った。美月は言う。
「おばあちゃんも、おばさんも私のこと嫌ってた。ごはんちょうだいと言ったら、腹減ってんなら〝紙〟でも食べろって言われて新聞投げつけられた。(私は怒って)全部食べてやるって言って、本当に食べたら気絶した。そんくらい私のこと嫌いだった」
中学に入ると、美月は学校に酒を持ち込んで飲み、急性アルコール中毒で倒れるとか、学校中の花壇に石灰をまくといった問題行動を起こす。病院でADHDと診断されたのはこのころだった。
医師に処方された薬を飲むようになってからは、美月の問題行動は一時的におさまった。ただ、薬が効きすぎて、「なんかフワフワとした別人みたいになった」感覚に陥り、外出もままならなくなったらしい。
中学卒業後、いったんは高校へ進学するものの、父親の再婚相手の女性から「家に金を入れろ」と言われ、1年で中退することに。その後、いくつかアルバイトを転々としたが、発達障害の影響か、人間関係がうまく築けなかったり、頻繁にセクハラを受けたりし、数カ月ごとに転職をくり返した。このころには病院通いをやめて薬も飲まなくなっていたらしい。
美月が東京に出てきたのは、19歳の終わりだった。彼女はその理由をこう言う。
「家ですることもなくて、スマホで動画見てたら声優の卵のAさんのこと知ったの。それで好きになって『投げ銭』をするようになった。私、バイトのお金全部親に取られてたから、チャットレディとかパパ活とかやってお金稼いでた。そしたら、同じファンの子がAさんに会ってるって聞いて、私も会いたくなって、千葉の害虫駆除の会社で働くことにした。もう親の近くはいいやって思ってたし」