「言い争う意味なんてないと思うんですよ」

さらに取材を続けていくと、ほかにも「元祖・パンチパーマ」を名乗る理髪店が。北九州市・小倉で1963年から営業している「ヘアサロン永沼」の二代目店主・久保政生さん(55)はこう語る。

「たしかに先代の永沼重己先生から、パンチパーマの誕生の経緯について聞いていました。当時(1960年代)の男性の髪型といえば、七三分けやスポーツ刈りくらいでバリエーションが少なかった。さらに北九州では、製鉄関係でヘルメットを被って仕事をする方も多く、髪型が崩れてしまうのが悩みだったのです。そこで永沼先生は、アメリカ人歌手のハリー・べラフォンテさんの髪型からヒントを得て、頭を洗ったあとも手ぐしでセットできるパンチパーマを考案したとのことでした」

昭和・平成初期に大流行したパンチパーマ(写真/共同通信社)
昭和・平成初期に大流行したパンチパーマ(写真/共同通信社)

特に先代がこだわったのは、パーマをかけるためのヘアアイロン。コテの部分を何度も削って改良を重ねていき、昭和50年代には「エッジアイロン」という名前で特許まで取得したという。その結果として、パンチパーマは流行の最先端として幅広い世代に受け入れられ、今でいうところのツーブロックのように浸透していった。

「ウチでは今でも『元祖・パンチパーマ』の看板を掲げていますが、正直なところ、どこが先に始めたとかはまったく気にしていないし、そんなことで言い争う意味なんてないと思うんですよ。今回、大阪の理髪店の方が黄綬褒章に選ばれたことはお客さまから聞いていますが、パンチパーマを世の中に広めていく同志として大変うれしく思っております」

パンチパーマの起源はさておき、取材をしたどの理髪店にも共通していたのが「パンチパーマへの愛」。最近では、もともと強面のイメージがあったパンチパーマの客層にも変化が起きているのだという。

「パンチパーマは男っぽくて強そうなイメージがあるからか、1980年代はヤンキーやその筋のお客さんも多かったんだけど、最近はふつうの若いお客さんも増えたね。とくに人気なのは『濡れパン(濡れた感じに仕上げるパンチパーマ)』。みんなインターネットでパンチパーマを知るみたいで、若い子たちにとっては、一周回って新しい髪型なんだろうね」(前述・バーバーショップマツナガの店主)

ヘアアイロン
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「1980年代は、学生さんやサラリーマンのほか、女性の方たちにも多くお越しいただきましたね。ロングヘア―にヘアアイロンを当てる『アイロンパーマ』が流行っていたんです。それこそ最近だと、ネットが便利になったからか、“SNSでパンチパーマを知った”といった声もたびたびお寄せいただきますし、俳優のウィル・スミスさんやラッパーの方たちの髪型に影響を受けてお越しになる方も多いですね。それと『今日から俺は‼』や『東京リベンジャーズ』の影響も大きくて、“こういう髪型にしてください”とスマホを見せられたときに、パンチパーマのアニメキャラだったりするので、うれしいかぎりですよね」(前述・ヘアサロン永沼の二代目店主)

時代とともに変化していくパンチパーマ事情。だが、店主たちの“パンチ愛”は灼熱のコテにも負けないくらい熱かった。

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班