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30歳くらいの生徒も在学してました

――ドラマの影響で、北星学園余市高校は“ヤンキー高校”の印象が強かったかと思いますが、なぜ兵庫出身の本間先生が北星余市で働くことに?

本間涼子先生(以下、同) 大学を卒業後、地元の大阪で午前中は小学校の非常勤の理科の先生、午後から学童保育の指導員というダブルワークをしていたんです。その生活を2年ほど送ったタイミングで、何気なく北星余市のホームページを見たら化学の教員を募集していて。
義家先生の本やドラマを通して北星余市は知ってたから、「免許も持ってるし、ちょっとおもろそうやな」と思って応募して、北海道に面接に行ったんです。

――すごい行動力ですね。

面接では変な質問をたくさんされましたね。なかでも覚えてるのが「胃は丈夫ですか?」とか「お酒を飲んだり、ストレス解消法はありますか?」といった質問(笑)。「北海道に骨を埋める気はありますか?」って言われたから「それはちょっとわからない」って答えたり。

北星学園余市高校で教鞭をとる本間涼子先生
北星学園余市高校で教鞭をとる本間涼子先生
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――入る前から嫌な予感がすごい(笑)。そして見事採用され、2005年4月から教壇に立つことに。ドラマが放送されてからそこまで年数もたってないですし、その年の3月まで義家先生が同校にいたということで、ちょっとした語り草みたいになっていたりは?

いや、別にそんな感じではなかったですよ。

――赴任した当時、ヤンキー生徒は多かった?

ヤンキーなのか……まあ、元気な子が多かったです。
ただ、当時北星余市は“最後の砦”と言われていて。もともとヤンチャしてたんだなって子たちも「このやり方では生きていけへん。北星で変わらなあかん」と親元を離れてやってきて、ここで寮生活を送っている。だから、荒れてるって感じはなくて、やっぱりどこか前向きな姿勢はありましたね。

ヤンキーだけでなく、さまざまな理由でよその高校を中退したり、不登校になってしまった生徒も多くいました。そうした「過年度生」(中学を卒業してから1年以上たってから入学する生徒)の中には、最年長で30歳の生徒もいて、当時24歳で赴任した私より年上の生徒も普通にいましたよ。