IT長者とワーキングプアは「格差」ではない

――2000年代に発展していくIT業界の中心にいたのが、団塊ジュニアの世代ですよね。

インターネット以降のベンチャーでは、サイバーエージェントの藤田晋(1973年生まれ)や堀江貴文(1972年生まれ)、あと米国NASDAQと東証マザーズに上場して最年少記録を更新したクレイフィッシュの松島庸(1973年生まれ)が同世代です。

80年代に子ども時代を経験した世代です。磁気テープとか、オーディオとか半導体とかでまだ日本が強かった時代で、日本が転落するなんて誰も思っていない時代を経験している一番下の世代かもしれないですね。国産のゲーム機と、国産のパソコンで育っている「国産デジタルネイティブ世代」というか。ゲームなんかは、90年代以降もトップだったし、発展産業の道筋は、ある時期まで見えていたような気がします。勘違いでしたけど。


この世代が一気に登場したときに日本社会の世代交代の機運がありました。ナベツネら年長世代がホリエモンのTシャツ姿に疑問を呈するみたいな構図がまさにそう。旧弊の日本を、新世代が覆す下剋上みたいな。実際、当時の堀江貴文が、30才前半でした。IT化と世代交代の旗が振られて、それがライブドアショックで一気に後退したという感じになりました。世代交代は失敗して、そのまま変化せずにきた日本っていう実感もあります。

2005年、ニッポン放送を買収しようとした堀江貴文氏 写真/共同通信
2005年、ニッポン放送を買収しようとした堀江貴文氏 写真/共同通信

――IT長者が生まれる一方で、同世代にはワーキングプアの問題に直面している人たちがいることも、本書では指摘しています。

経済格差の問題が2000年代に取り上げられるようになる。実際の経済指標で、生活レベル、賃金の格差が生まれるのは主に80年代のことなので、20年間軽視された問題が、15年、20年遅れで社会が気づき始めたんです。ヒルズ族みたいな流行は、新富裕層の台頭を象徴するものですが、格差の議論とも重ねられて注目されました。

――そんなIT長者とワーキングプアの間にある格差は、たとえば山内マリコの小説『あのこは貴族』で描かれていた格差とはまた別のものですよね。

この小説、映画もよくできていますが、東京という街の複雑さが描かれてますよね。地方出身者と裕福な家出身の両女性登場人物がいて、彼女たちは東京という同じ場所に住んでいながら、見えている像が違うです。でも、同じ都市の中に明確な貧富の差のゾーンの違いあるとかいうことではない。

それであれば海外の都市でよく見る景色です。この小説は、ほぼすれ違うくらいの近距離にいながら、でも全然違うのがおもしろいところです。実際に、西麻布なんかはそういう街で、外を歩いていてもここがリッチな人たちの遊び場だなんてわからないですよね。それが東京の特殊なところな気がします。

山内マリコの小説『あのこは貴族』
山内マリコの小説『あのこは貴族』