苦境を訴える「ロスジェネ」論への違和感
――当事者である速水さんとしても、自分は苦境の世代だという実感はありますか。
僕自身は、大学時代にコンピュータ雑誌の編集部にアルバイトとして入って、そのまま卒業後も編集者として勤めていてたんです。だけど、労働条件的に見ると残業代なんてもらったこともなければ、「偽装請負」といわれればそうみたいな環境で働いていたなとは思いました。
でも実感として苦境とはほど遠い感じでした。僕が身を置いていたのが、メディア業界とIT業界だったことが大きかったでしょうか。90年代後半は本当にバブル以上の活況を呈していた時代だったと思います。雑誌は創刊ラッシュ。90年代後半が、出版業界の売り上げのピークの時期ですし。僕が担当している年上の著者の方たちが、飲みに行くのについて行ったりすると、常に大手出版社の編集者たちが支払いをしてくれるんです。
僕は中小出版社で若手なので、大概おごってもらえました。ITバブル時のベンチャーの経営者たちも、めちゃめちゃ羽振りがよくて、僕も末端の記者として一端をのぞいていただけですが、ITバブルは一番隅っこで体感しました。
ちなみに2000年前後くらいは、有名な海外のDJを呼んで渋谷のクラブで新製品発表会が開催されていたりということが毎週繰り広げられていた感じでした。
――景気は悪くても、IT業界は元気だったと。
僕がいた出版社は薄給でしたけど、その周囲が裕福だったので、十分にトリクルダウンがあるというか。
自分が苦境世代で、悲惨な目にあってという体験はしていないんです。ちなみにベンチャー企業にいるのと、"日本の古参の会社"っていう環境で働いているのでは、まるで感覚が違ったと思います。労働時間も自由だし、経費も使えたし、本来なら競合するメディアでも仕事をしたりグレーな副業なんかも怒られなかった。なので、特に不満もなくやっていた感じでした。
すぐに人が辞める環境でもあったんですけど、すぐに競合雑誌の編集部に移ったりと、流動性も激しかった。次の仕事先が見つかる前提だから辞める人も多かったという感じです。紙の編集の仕事もフリーランスになれば、すぐに年収は2倍くらいになるなという感じですし、ウェブのメディアの移行期で、編集者から「メディアプロデューサー」として転身する同業者も多かったかな。
実際に僕がフリーランスになった2001年くらいもそんな感じでした。なのでのちに「ロスジェネ」世代といわれ始めたときに、自分の環境とは違うなと言う違和感があったのは確かです。『1973年に生まれて』はサブタイトルに「団塊ジュニア世代の半世紀」とあるように自分の世代について書いてますが、この世代=困難世代の色が強くなりすぎるところを踏まえて、それだけではない部分を書いているつもりです。