オランダ人から供された〝ヒイル〞は、どうやらひどい飲み物だった
ワインを初めて飲んだ日本人は、織田信長と伝えられている(薩摩の守護大名だった島津貴久であったなど諸説あり)。持ち込んだのはイエズス会の、フランシスコ・ザビエルだったとされている。いずれにせよ16世紀の話である。
では、ワインと同じ醸造酒であるビールを最初に飲んだ日本人は、一体誰なのか。そして、いつだったのか。
はっきりとした文献も資料も残ってはいない。ただ、江戸の八代将軍だった徳川吉宗の時代、1724年(享保9年)に幕府の役人である通詞(通訳)が著した『和蘭問答』という書物に、オランダ商館の一行が江戸を訪れたとき、投宿先の夕食にて同席した日本人がビールを飲んだという記述がある。
「殊外悪敷物(ことのほかあしきもの)にて、何のあぢはひ(味わい)も無御座候(ござなきそうろう)。名をヒイル(ビール)と申候(もうしそうろう)」と、当時の日本人にとって、オランダ人から供された〝ヒイル〞は、どうやらひどい飲み物だったようだ。
いずれにせよ、ビール伝来はワインから150年くらいは遅れていたと言えよう。
日本のビール醸造の発祥は、横浜!
では、日本人で最初にビールを造ったのは誰かと言えば、幕末の蘭学者である川本幸民では、と推測されている。
幸民はドイツの農芸化学者、ユリウス・A・シュテックハルト『Die Schule der Chemie(直訳すれば、化学の学校)』のオランダ語版を『化学新書』と題して、日本語に重訳した。
このなかで、ビールの醸造方法が詳しく解説されていた。本当にビールを造ったのかどうかは不明だが、実験を好んだ幸民の性格から、詳細な記述をもとに試醸をしたのではないかとされる。
さて、日本のビール醸造の発祥は、横浜である。幕末から明治初期にかけて、横浜の外国人居留地にて外国人経営によるビール醸造所(ブルワリー)が相次いで誕生していく。
1859年(安政6年)開港の横浜港は、幕末に江戸幕府が貿易港としてつくった。58年の日米修好通商条約締結に絡んで、外国奉行・岩瀬忠震が建設を主導した。西高東低だった日本国内の経済格差を、貿易により是正しようとする江戸幕府の狙いが、横浜港建設には込められていた。
横浜港開港後に、幕府が造成した居留地は山下居留地と、明治改元の前年に拓いた山手居留地の二つ。横浜の居留地に住み始めた外国人は、軍人や外交官、宣教師、貿易商など。
彼らがビールを求めたのだが、誕生したビール醸造所のほとんどは経営が行き詰まり、短命に終わった。
ちなみに、日本初の醸造所は、山手に1869年(明治2年)に開設した「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」である。最初の経営者はユダヤ人のローゼンフェルト。島根の松江藩も出資したが、1874年(明治7年)に閉鎖された。