自分の中の「三カメさん」が強すぎる
―― 例えばハードボイルド小説の作家がダンディな服装をするとか、作家が人前に出るときに作風に合わせたキャラクターを演じることはあると思います。でも、村山さんは鴨川暮らしなどのライフスタイルもまるごと、エッセイで発信されてきました。それなのに「ふり」をしている感覚だったというのが、意外です。
私は、自分の少し後ろの上空にカメラがあって、自分をじーっと見ているという感覚がどうも強すぎるみたいなんです。主観カメラでも相手視点のカメラでもなく、第三者的という意味で自分の中の「三カメさん」と呼んでいるんですけれど、その三カメさんが「自分の暮らしも何もかもを、作家らしく擬態するために利用しているんじゃないの?」という目で見てくる。三カメさんの前では私は演技者としてそこにいて、いい子や妻や作家に擬態している。三カメさんがずっと見張っているので、素の自分というのがよくわからない。いまだにそういう感覚です。
でもね、唯一、猫といるときだけは三カメさんが消えるんですよ。三カメさんが消えると、世界がぐっと近くなって、自分の中に視点が戻ってくる。自分が世界の中にちゃんといるという実感が得られる。だから大袈裟ではなく、私にとって猫は、あらゆる世界の取っかかりなんです。三カメさんの呪いを解いてくれるから。
―― そういった感覚は、いつごろからあったんでしょうか。
四つ、五つのときからかもしれないです。母に𠮟られたり、母の機嫌をそこねないよう噓をついたりしたとき、猫と一緒にお布団に入って、こっそりと本当のことを打ち明けていた。猫がいつもそばにいてくれて、唯一彼らの前でだけは、素の自分でいられる。大人になってもずっとそうでしたね。今は、相方の〈背の君〉がもともと従兄弟ということもあって、母のことも含めてなんでも話せるようになったので、だいぶ楽にはなっているんです。でも、猫のいない生活というのはやっぱり考えられない。
―― 愛猫の〈もみじ〉を見送る過程が綴られた『猫がいなけりゃ息もできない』は、村山さんの人生にとって猫がいかに不可欠な存在なのか、ひりひりするような切実さで伝わってきます。続編となる『命とられるわけじゃない』では、猫との奇跡的な出会いがありますね。
さきほどの撮影中も私にずっとついて歩いていたストーカーこと、〈お絹〉ですね。彼女との巡り合わせはちょっと出来過ぎなくらいでしたけれど、本当に、あのときよくぞ私を見つけてくれた、と思います。彼女がいなかったら、もみじ亡き後の私は、低空飛行がもっともっと長いこと続いていたと思います。恩寵のような出会いです。ありがたい。
―― 『猫がいなけりゃ~』と『命とられる~』のシリーズは、鴨川暮らし以来、約10年ぶりのエッセイでした。久しぶりのエッセイで、何か発見はありましたか。
10年の空白期間にわかったのは、エッセイって、自分自身の足が地についていないと私には書けないものだということです。私生活があまりにも動乱状態だと、何を書いてもその言葉はすぐ噓になってしまう感じがして。そのときどきの確かな実感みたいなものがないと、エッセイは書けない。
だから面白いことに、私は恋愛小説はさんざん書いてきたのに、恋愛エッセイは書いていないんですよ。村山由佳の恋愛指南、恋愛相談みたいな依頼をいただいたこともあったんですけれど、書きたいと思ったことが一度もなくって。それは小説に書くよ、と思ってしまう。小説が上とかそういうことではなくて、役割分担ですね。本当に心が揺れて揺れて止まらない、そういうことは小説という器でないと盛れないと思うんです。エッセイという器には、もう少し静謐なものを盛るという感覚。エッセイで恋愛を書いたら、ブレブレになってピントが合わない気がします。
―― それは、村山さんにとっての恋愛が、型やパターンがあるようなものではなく、毎回まったく違う、予測できないものだからでしょうか。
そうですね。相手によってぜんぜん違うから、指南書にできるようなノウハウや型はまったくないなぁ。だから恋愛小説をいろいろ書けた、というのはあるかもしれませんけど。
モノは暮らしを彩る絵の具。
色数は多いほうが楽しい
―― 『記憶の歳時記』では、村山さんを支えてきた“モノ”についても数多くのエピソードが綴られています。今は「持たない暮らし」がブームですが、村山さんはその逆をいくような「持つ暮らし」ですよね。愛するモノについて、「自分が偏愛する世界への憧れこそが、私をここまで連れてきてくれた」という一節は印象的でした。
中学生のときにお年玉を貯めて手に入れたモデルガンとか、サハラ砂漠のトゥアレグ族の三日月刀とか、ライオンの牙とかね。どれにもすごく愛着があって、選んで手に入れたときのことをみんな覚えているから、捨てられないの。今は家の中を改造したりモノを移動させている途中なこともあって、1階のホールが古道具屋の倉庫状態なんですけれど……つい最近、執筆部屋の場所を移したんですね。今回の部屋はヴンダーカンマー(注:世界の珍品をあつめた博物陳列室)がテーマなんですけれど、何も新しく買う必要がなくって。だって“倉庫”からテーマに合わせて選んでくればいいんだから。そのときの気分で好きな空間をすぐ作れてしまうの、いいでしょう。
モノは暮らしを彩る絵の具なので、色数は多いほうが楽しいです。その楽しみを人生からみすみす捨てるなんて、ねぇ? 私はこの理屈でモノを揃えちゃうので、着物の帯や帯締めなんかも集めまくってしまうんですけれども……。ただ、高いものには興味がないんです。値段がつけられない、私が価値を決めるというのが好きです。部屋や家にはその人らしさが出るので、面白いですよね。
―― そんなモノたちや人や猫たちを包む「家」について、書き下ろしの掌編小説も収録されています。
軽井沢のこの家に越してきて13年になるけれど、どんどん居心地がよくなっています。二人目の旦那さんが出ていって、今の背の君と暮らすようになって初めて、ここに「生活」と呼べるものができた。朝晩のご飯を一緒に食べて、昼間はそれぞれ仕事をしたり、家のどこかしらを一緒に片付けたり、住みづらいところを工夫したり。次にどこを直そうかと計画を立てて、そこに向けてお金を貯めたりもしています。
―― そういう堅実な発想が、これまではなかった。
そうなのよねぇ(苦笑)。私、自分がいくら稼いでいるかも知らなかったんだから。最初の旦那さんはそこをしっかり管理してくれていたのだけれど、二人目のときに、それはもう大崩れしてしまいました。今回のエッセイで赤裸々に明かしたけれど、今どきなかなかいないと思うのよ、貴金属類をぜんぶ質屋に入れた作家。明治・大正の文豪じゃあるまいし(笑)。
母への思いを「浄化」ではなく「沈殿」させる
―― 今回のエッセイでは、「母」との関係にもハッとするところがありました。母と娘の確執を描いた自伝的小説『放蕩記』をはじめ、これまで母親との複雑な関係性を数多く描かれてきましたが、今作の最終章には「母のことを書く時の手つきがいくらか変わってきたという実感がある」とあります。何かきっかけがあったのでしょうか。
エッセイを書いていくことで、初めて気づいた変化でしたね。やはり背の君の存在は大きいと思います。母について普通に話しても、ドン引きされない。彼も、私の母と同じ血筋である自分の父親に苦しんだ経験があるから、理解を示してもらえる。あるいは、「そんな言うたら化けてきよンぞ」なんて茶化してもらえる。今までは母について何か思うと、自分の中に浮遊物が渦巻いて、ずっと濁っているような状態だったんです。でも日常的に彼と母について話すたび、浮遊物が一つ一つ沈んでいって、最近はだいぶ水が澄んできたなと感じます。
―― 浄化ではなくて、沈殿なんですね。
そう、決して浄化ではないです。何かきっかけがあったらまたぶわっと濁るかもしれないけれど、沈ませる方法はわかったからね、という感じ。母に対するいろんな思いが沈殿しているのも含めて私であって、それによってわかる人の気持ちや書けることがきっとあるから、浄化はしなくていい。そう思えるようになってきました。
―― エッセイ末尾にある、認知症のお母様と交わした会話の記録には、形容しがたい切なさで胸がいっぱいになります。
以前、もみじを看取ったときに、担当編集者から言われたんです。「今しか出てこない言葉や感情がきっとあるから、記録しておいてください」って。だからこのときも、母の手を握りながら、彼女が自分の世界の中で話す言葉をメモして。創作では絶対に出てこない言葉って、確かにあるんですよね。
とはいえ、手放しに「お母さんありがとう」ではないです。この部分は感謝するけれど、この部分は今でもやっぱりひどかったと思うよ、と冷静に書けるようになった。少し違う地平に出たのだと思います。
―― その新たな地平で、今後どんな作品を書いていかれるのでしょうか。
次に出るのは、阿部定を主人公にした伝記的小説『二人キリ』です。『風よ あらしよ』の伊藤野枝は自分との共通点があると思えたんですけれど、阿部定は本当にわけがわからない女で。でも彼女をひもといていくと、やはり何かしら普遍的なものが見えてくるんですよね。すごく難しい挑戦でしたけれど、先日なんとか最終回を納めました。
気力、体力、本の売れ行きなどいろいろな面で不安はあるけれども、こうやって挑戦しがいのある題材や依頼をいただける間は、期待以上のもので応えたいと思います。期待通りじゃなくて、期待以上。でないとまた、自分のことを作家の偽物だと思いそうな気がするから。