今も多くの人ががれきの下敷きに
家族や友人の訃報を受けるのが日常となった。毎朝起きると、ガザ地区に住む友人全員に「おはよう」などとメッセージを送り、安否を確かめているという。返事がないと、攻撃を受けたのか、病院にいるのか、もしくは死んでしまったのか、と不安に包まれる。
「今週だけでも精神的なショックが何度もあったが、家族のサポートでなんとか私はやっている。だが、なかなか家の外に出ることのできない状況でストレスが募る。特に子どもたちは、ここ最近で以前よりも攻撃的になってきている」
カリマンさんは侵攻前までドバイで建築士として働いていた。ガザに住む婚約者との結婚式の準備のために侵攻が始まる3日前にイスラエルへ帰国した。婚約者と住むために自ら設計した新築の家は爆撃によって跡形もなく破壊され、婚約者やその家族とも会えない日々が続いている。
18日には親戚の自宅が攻撃され、4歳から8歳の子ども3人を含む一家全員が死亡した。相次ぐ被害で救助も間に合わないことが多く、救急車や医師の数も足りていない。さらに道路は建物のがれきなどが敷き詰められた状態で、車両が通れない場所も増えている。燃料不足も深刻で、ガソリンスタンドも閉鎖が相次いでいる。
ガザ地区では停電が続いており、インターネットもほぼつながらない。カリマンさんは、ドバイ在住時に使用していたアラブ首長国連邦のSIMカードがあるため、ローミングでインターネットを使用している。電気は太陽光発電や発電機でなんとか供給しているが、スマートフォンの充電だけで精一杯という状況だ。
テレビも見られないため、国外に住む家族や友人からの電話で情報を得るしかない。実際、17日に北部で起きた病院爆撃も国外の家族から知らされたという。
18日から19日にかけては、カリマンさんのいる地域が攻撃を受けた。幸い避難先のアパートは無事だったが、日がのぼるまでの間は恐怖で眠ることもできなかった。日中にも攻撃は続き、今も多くの人ががれきの下敷きになっているという。
「毎晩、なかなか眠りにつくこともできない中、『きっとこれが戦争最後の日だ』と自分に言い聞かせている」とカリマンさんは寂しげに話す。