今からでも「幸せ感じ力」を身につけて
——すでに親が亡くなり「あのときこうしておけばよかった」と後悔している人もいるかもしれません。どのように気持ちを切り替えたらよいのでしょうか。
後悔と同じくらい「親にやってあげられたこと」を思い出すとよいと思います。「あの日、仕事をがんばって切り上げてお見舞いに行ったな」「去年孫を見せられたな」など、やってあげられたことは絶対にありますから。そして反省はしないことです。自分で自分に「よくやったね」と声をかけてあげてください。
患者さんの家族にも「亡くなる瞬間に同席できなかった……」と悔やむ方がいらっしゃいます。でも私は、逝く瞬間は本人が選んでいる気がしてならないんです。この話は医療従事者間での通説でもあります。
例えば、家族がベッドサイドでうたた寝している間に亡くなったのなら「見ていないときに逝きたいな」「しっかり休んでほしいな」と思って逝ったのかもしれません。非科学的な話ではありますが、私はそう考えています。
——これまで先生が看取った患者さんで「幸せな最期」を迎えた方には、どのような共通点がありますか?
穏やかな最期を迎えられた患者さんには、どのような状態の方でも「今が幸せなんだ」とおっしゃっている方が多いと感じます。
ある末期がん患者さんは「がん終末期と知ったおかげで、死ぬ準備ができてよかった」と話していました。余命いくばくもないことを知ったつらさは相当のものだったと思いますが、それでも「余命がわかるから、がんでよかった」とうれしそうに言っていた姿が忘れられません。
この幸せや喜びを感じられる能力のことを、私は勝手に「幸せ感じ力」と呼んでいます。どんなときでも物事を暗い方向から見るのではなく、明るい方向から見ることができると、人生の豊かさが変わってくると思うのです。
食が細くなってきたときに「一口しか食べられなかった……」と思うのか、それとも「一口しっかり食べられた!」と思うのか。同じ事象であっても、受け止め方によって心のありようが変わります。
私もこの「幸せ感じ力」を身につけるべく、日々ものの捉え方を見つめ直しているところです。一朝一夕で身につく力ではないので、プラスの側面から物事を見られるようにと日々意識しています。
——最後に、これから親を看取っていく読者に向けて、メッセージをお願いします。
私が45歳を過ぎて思うのは、自分の老化がどんどん進んでいるということ。老眼は進み、身体能力も落ちていきます。だからこそ、自分がやりたいことは今のうちにやったほうがよいと思います。
その中には、自分が親にしたいことや、親が一緒にやりたいことも含まれるでしょう。そうした行動を経て、自分や親が最期を迎えるときに「いい人生だったな」と思えたら100点ではないでしょうか。
取材・文/金指歩 写真/shutterstock
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