粘り気のある時間

わたしが夜中の室内でゴキブリと出会ったとき、時間の流れは一瞬ストップし、それからしばらくは非常にゆっくりと時間が流れ、自分が恐怖に囚われていたと明瞭に気づいた時点でやっと時間は再び通常の速度で流れ始めた。記憶を辿ると、そうとしか思えない。

時間の流れが減速しているとき、わたしはゴキブリの姿をしげしげと眺め、それどころか詳細に観察していた。たまらなく不快であるにもかかわらず。かつて海岸で見掛けたフナムシも相当に気持ちが悪かったが、あれはゴキブリと近縁の生物なのだろうか。

後ろ向きにゴキブリが進むところを見たことがないが、それは構造的に不可能だからなのだろうか。雄と雌とを見分ける外観的な特徴はあるのだろうか。などと、取り留めのないことをあれこれ考えていた。同時に、床の幾何学模様をあらためて認識したり、視界の隅に映っているダイニングテーブルの脚が今まで漠然と思っていたよりも細いことに意外性を感じていたりもした。そんな調子で思考や感覚がへんに微視的になっていた刹那、ゴキブリが不意に動いてなおさら驚愕に圧倒されたのだった。

恐怖に心を奪われているとき(だがその最中には、かえって恐怖は感じない)、それまではさらさらと流れていた時間は急に粘り気を増し、そのため時間はゆっくりと濃密に流れ始めるような気がしてならない。

T・ジェファーソン・パーカーの『レッド・ボイス』といういささかアバンギャルドな警察小説がある(七搦理美子訳、早川書房)。この本の冒頭で、サンディエゴ市警の刑事ロビー・ブラウンローは火事の起きたホテルの6階の窓から投げ出され、墜落をする。落ちていくロビーの様子を一部引用してみる。


〈落下の速度がしだいに増していった。これほどのスピードを肌で感じるのは生まれて初めてだった。ほかのどんなものにもたとえようがなかった。速度がさらに増すと、仰向けのまま両腕を広げて宙をつかもうとした。灰色の空をバックにホテルの屋上が視界に入り、落下の勢いで耳たぶが上向きに曲がるのがわかった。

今やこの命は自分よりずっと大きな何かの手に委ねられたことを悟った――人の命が何かの手に委ねられているとすればだが。(中略)上空の雲がぐんぐん遠ざかるのを見ながら、あとどれくらいで地面に達するか計算しようとした。秒速16フィートとすればどれくらい?〉

睡眠中の身体を這い回ったり、半開きの口の中を覗き込むかもしれない? 人類に忌み嫌われているゴギブリに感じる恐怖の正体とは_3

いやに悠長にロビー刑事はあれこれ感じたり考えている。あと数秒で地面に叩きつけられてしまうというのに(実は1階の店舗の赤い日除けでワンバウンドして、命は助かるのだが)。落下の勢いで耳たぶが上向きに曲がるのをはっきりと意識するあたりは、べつに高所から墜落した体験など当方にはないものの、いかにもありそうなエピソードの気がする。

いずれにせよ恐怖の渦中にあるべき場面で、ロビー・ブラウンロー刑事の主観的時間は落下速度と反比例するかのように減速している。しかも恐怖の感覚そのものは麻痺しているかのようだ。そのように描写されて小説はリアリティーを獲得している。

フィクションだけでは信憑性に欠けるので、スイスの地質学者アルベルト・ハイムが若い頃に登山で落下した体験を紹介しておく。著名な精神病理学者であった島崎敏樹(1912~1975)の『心で見る世界』(岩波新書)に載っていたハイムの回想である。


〈……墜落のあいだに、考えが洪水のようにはじまった。5秒か10秒ぐらいの間に私が考えたこと感じたことは、50分100分かかっても話せまい。まずはじめに、私は自分の運命のさまざまの可能性私が墜落した結果、あとに遺された者がどうなるかを概観した。

それから少々離れた距離にある舞台の上で演じているように、私の過去の全生涯がたくさんの場面となって演じられるのが見えた。私は自分がそこで主役の役をしているのを見た。何もかも神々しい光で輝くようで、あらゆるものが美しく、苦痛も不安も苦悩もなかった。

崇高な青い空が、ばら色や淡い紫の雲をうかべてだんだんと私をとりまいた。私は苦しみもなくおだやかにその空のなかへうかび上っていった。客観的考察と思考と主観的感情が同時に相並んで進んでいった。それから私はぶつかる鈍い音をきき、これで墜落が終った。〉


なお、サンディエゴ市警の刑事においても、アルベルト・ハイムと同様のパノラマ体験があったことを作者のT・ジェファーソン・パーカーは後段でそつなく書き添えている。