死の観念ないしは死を恐れる感覚が欠落している
目の前に姿を現したゴキブリは、ひとつのメッセージを携えている。お前の住む部屋は、もはや安全やプライバシーの確保された心地好い空間ではない、既にゴキブリが出入りしたり、それのみならずどこか見えない隙間でゴキブリが増殖したりするような不衛生で無防備な空間に堕してしまったのだ、と。
どれだけのゴキブリが隠れ潜んでいるのか、それは決して確認ができない。電気を消して眠りに就いた途端、ゴキブリは再び姿を現すだろう。おそらく複数で。睡眠中のわたしの身体を這い回ったり、半開きの口の中を覗き込むかもしれない。
床も壁も(ひょっとしたら天井も)家具も蒲団も食器も、ことごとく不潔な奴らに汚染されている可能性が高い。いつの間にかわたしの住処は事実上乗っ取られ、清潔で安全な感覚を剥奪されてしまった。
人間は肉体がタマシイを包み込む構造になっていて、さらに住居が第2の皮膚となって日々を暮らしている。でも今や第2の皮膚の下をゴキブリが右往左往している。それは「おぞましい」としか形容の言葉がない状態だ。その「おぞましさ」がみるみるドミノ倒しのように広がり、遂にわたしは恐怖に捕らえられる。
タマシイを包む「層」の一部へ、生きたゴキブリが混入してしまったという不快感、いや絶望感はわたしを打ちのめす。その感触は、あたかも世界が変容して自分がまったく油断のならないそれこそ太古のジャングルへ放り込まれたようなものだろう。
しかもわたしは、ゴキブリにはおそらく死の観念ないしは死を恐れる感覚が欠落していると信じている(逃げるのは、ただの反射的振る舞いでしかない)。ああいった生き物は旺盛な繁殖力を持ち、数で勝負といった性質がある。
個々別々でなく、無数の集合によって1つの生命体を成しているようなところがある。したがって自分が死んでもそんなことには頓着しない、自身の代替はいくらでもある。そういった意味では不老不死に近いニュアンスがあり、そんな死生不知かつ圧倒的な生命力を前にしたわたしは自分が無力のカタマリでしかないことを思い知らされる。これが恐怖でなくて何であろう。